父の84歳の誕生日に、開くとケーキの絵が飛び出すバースデーカードを送りました。
入院している父は、きっとケーキが食べられないだろうと思ったからです。
2月に転倒して、大腿骨を骨折し手術した父。
あれからずっと入院しています。
パーキンソン病と診断されました。
「お父さん、自分で靴下脱げないんだよ。」
実家に入ってくれている妹の話に笑っていて、父が病気だなんて思ってもみませんでした。
父はスポーツマンでした。
地区の運動会の短距離走はいつも1位。野球をしたり、ゴルフも大好きでした。
最近までプールに通い毎日ウォーキングをして、家族の誰よりも健康で元気だったのに。
あの父が病気になるなんて。骨折して家に帰って来れなくなるなんて。
家族と離れ病院に一人でいるかと思うと、早く気がついてあげられなくてごめんねと、申し訳ない気持ちになりました。
コロナ対策で、病院では直接面会ができません。
妹がビデオ通話で父と話せたことを伝えてくれました。
父は「迷惑かけるね、家のことを頼む。」と、目に涙を溜めながら言ったそうです。
離れて暮らし父に何もしてあげられない私は、罪悪感でいっぱいになりました。
*
気難しい性格の父からは、スキンシップも褒めてもらうことも余りありませんでした。
男の子が欲しかった父には愛されていないと思い込み、ずっと父とは距離を感じてきました。
心のことを学ぶようになって、私の欲しかったスキンシップや褒める愛情表現ではなかったけれど、父なりに愛してくれていたことを受け取れるようになりました。
父の愛情の一つは「見守ること」だったと今は思えるんです。
私たちが幼かったころ、仕事や勉強に時間を取られていた父は、私たち姉妹のことは母に任せて、見守ることしかできなかったのかもしれない。
今私は、父を見守ることしかできない。
私が感じているこの気持ちは、あのときの父と同じなのではと気がつきました。
私が感じている「何もできない罪悪感」も、もしかしたらあのころの父も感じていて、そして今入院中の父も同じように感じていることに気がついたんです。
私が何もできないと罪悪感を感じるのは、父のことを大切に思っているから。
父が何もできなくて迷惑をかけると罪悪感を感じるのは、そこには父の愛があるから。
そう、愛が強いからこそ罪悪感を感じるんでした。
この罪悪感は、愛に変換できるはずなんです。
今私が父にできることってなんだろう。
父に「迷惑なんかじゃないよ、家のことは大丈夫だからね。」と、少しでも安心してもらうこと。
そして、迷惑かけて申し訳ないと感じている父のことを、承認することだと思ったんです。
*
私は父に手紙を書きました。
「お父さんへ
Aちゃん(妹)が、ビデオ通話で話せたときに撮ったお父さんの写真を見せてくれたよ。
お父さんの顔を見たら涙が出てきました。
お父さんに会いたいなぁって。顔を見せてあげられなくてごめんね。
家のことは、Aちゃんたちがやってくれているから大丈夫だよ。
それに、迷惑なんかじゃないからね。
だって大切なお父さんのことだもん。
お父さんが元気でいてくれることが私たちの喜びだし、お父さんが笑顔でいてくれたら、みんな嬉しいんだよ。
3年ぐらい前、私がお父さんに「私のいいところ書いて」って頼んだときのこと覚えてる?
お父さんが私のいいところを書いてくれて、ものすごく嬉しかったんだよ。
私のいいところが書かれた紙はいつも持ち歩いていて、私のお守りになっています。
大切に育ててもらったことを本当に感謝しているし、お父さんの娘に生まれて来れたこと、幸せに思っています。
だから今日はお返しに、私からお父さんのいいところを伝えたいと思います。
お父さんのいいところ
誠実、勤勉、努力家、イケメン!、お茶目、家族思い、情熱的、照れ屋さん、純粋
私の願いはお父さんが笑っていてくれること。
お父さんのこと大好きです。愛しています。ようこより」
恥ずかしすぎて書こうかどうしようか、ほんとに書けるの?と思いましたが、父に2回目の「愛している」を伝えることができました。
父はどんな顔をして読んでくれたのでしょうか。
照れくさそうに、にやにやしてくれていたらいいな、と思うんです。
父の罪悪感から父の愛を受け取り、私の罪悪感を愛に変換して父にプレゼントすることができました。
これも私が愛されている存在であることを信じ伝え続けてくれた学びの師匠たち、仲間のお陰だと感じています。
罪悪感を愛に変換したら、心がふわっと軽くなりました。
父が少しでも元気になってくれたら。そう願ってまた手紙を書こうと思います。