私たちは何事につけ、とかく自分の限界を自分で決め、心や行動に制限をかけようとしてしまいます。
例えば「どうせ私は年収500万円が限界だ」「どうせ正社員にはなれない」「私は一生平社員だ」「私が住める住居は家賃5万円程度だ」などといった類です。
この制限は、制限をかけた事柄に対して現状での不満があり、それ以上になりたいという願望の表れでもあります。
しかし、制限をかけることによってその願望を達成できなかったときの自責の念や自分への失望感を感じなくてすむ防衛でもあるのです。
私は長年、製品の研究開発に携わってきましたが、その原点は私自身の「こんなものが世の中にあったらいいな」という思いでした。
この思いが無いと、新しい製品は生まれないのです。
この「こんなものが世の中にあったらいいな」の思いこそが、研究と製品開発の原点であり、最初からそこには制限が無いわけです。
研究開発をする過程で、実現が難しいと思っていたことができるようになったこと、実現できると思っていたことが現実には難しく叶わなかったことなどもあるのですが、それでも「世の中にあったらいいな」の思いが無いことには、新しい製品は生まれないのです。
昔、製品を共同開発していた大手の総合電機メーカーS社の担当者から、製品開発にまつわる話を聞いたことがありました。
S社は「いつでも・どこでも・手軽に音楽を楽しむ」をコンセプトに持ち運べる音楽プレイヤーの開発に取り組んでいました。
当時は、カセットテープ全盛の時代。
音楽を聴くとなればラジカセが主流でしたが、手軽に持ち運ぶには難がありました。
S社のコンセプトはまさに「こんなものが世の中にあったらいいな」だったわけです。
最初の試作機は弁当箱ぐらいの大きさだったそうです。
ラジカセと比較すれば飛躍的に小型化されたのですが、これではまだまだ持ち運ぶのには難があります。
それで更なる小型化にチャレンジしていくのですが、開発者が「精一杯努力しました。これでどうですか?」と経営者に試作品を見せてプレゼンをしたところ経営者は水を張った容れ物を持ってくるように指示をしたそうです。
そして、その水の中に試作品をドボンと浸けさせると「泡が出ている。まだ隙間がある」と更なる小型化を指示したそうです。
結果、開発者は更に努力を重ね、更なる小型化にチャレンジして当初の「こんなものが世の中にあったらいいな」を実現し、製品化して大ヒットを成し遂げたそうです。
私も当時、その製品を持っていましたが、胸のポケットに収まるサイズのその製品は、正に「いつでも・どこでも・手軽に音楽を楽しむ」ことを実現した製品でした。
最初から制限をするのではなく、「〜だったらいいな」を実現したいと思い、目標に向かって進むことこそが、それを実現する手段なのです。
更に言えば、予め制限をかけてしまうと到達できるのはそこまでになってしまうのです。
とはいえ、現実には「〜だったらいいな」を実現することはなかなか難しいと感じる方も多いのではないでしょうか。
それも実は制限であり、心の防衛なのです。
なぜそう思わなければならないか、思ってしまうのかを自分自身の心に問うてみられるといいのではないでしょうか。
何を怖れているのか、どのような過去の経験がそう思わせているのかなどが浮かんでくるのではないでしょうか。
それが、現実世界の“壁”という幻を作り出しているのです。
加えて言えば、あなたが「〜だったらいいな」と思い続けることによって、現実世界の“壁”は、不思議なことに何かが、誰かが勝手に壊してくれることもあるのです。
その不思議な現象を起こしてくれるのは、今そばいる誰かかも知れませんし、新たに現れる誰かかも知れません。
あるいはパートナーや見ず知らずの人かも知れません。
また、あるいは、社会情勢や社会システムの変化かもしれません。
人間関係はや世の中は常にダイナミックに動いているものです。
それをうまく捉え、敏感に反応しさえすれば、奇跡と感じられるような事が起こりえるのです。