人からよく思われたいと思いすぎるとハマる罠
人からよく思われたい。だから生じるコントロールの心理
人はやっぱりよく思われたい生き物。誰も悪い人間やひどい人間だと思われたいとは思いませんよね。
ただ、自分をよく思えず、だから人からよく思われたいと思う人の中には
「こんな自分でありたい」
「他人から〇〇のように見られたい(△△のように見られたくない)」
という想いに駆られ、気づかないうちに人の気持ちを一生懸命コントロールしようとしている場合があります。
その結果、対人関係で疲れ果ててしまったり、自分を偽ったり人の気持ちを考えすぎてうんざりしてしまう人もいるようです。
例えばこんな事例
あさおくん(仮名・男性)の話。
彼には昔から体に酷いアレルギーがあり、体を誰にも見られたくないという思いがありました。
どこか自分自身の体を良いものとは感じられていなかったので、隠そうとばかり考えていました。
しかし、実際、日常生活の中ですべて隠し切ることは難しい。
なので、人と距離を置き関わらないように過ごすようになったのです。
が、それでは職場の人間関係や恋愛がうまくいくわけでもないのです。
そこで、あさおくんは必死にいい人を演じて、何でもYESと言う人間になりました。
人の意見を否定せず何でも受け入れれば好かれるだろう、と考えたのです。
もちろんその考え方には無理がありましたが、あさおくんは必死にYESマンとして生きるようになったのです。
ただ、この生き方は自分の意志を尊重しているわけでもなく、相手の気持ちを真に大切にしているわけではありません。
自分を隠すため、隠しながら人に好かれるための方策だったのです。
それゆえに、あさおくんはいつしか疲れ果て、更に人との距離を置くようになっていったのです。
(この話は架空の話です)
人の気持ちをコントロールしようとしても疲れ果てるだけ?
この事例と同じように、どこか自己評価が低い自分を隠すために、人の気持ちをコントロールしようとする人がいます。
ただ、人の気持ちはその本人が決めるもの。
こちらの意思で相手の気持ちを変えたり、こちらの意図通りにコントロールできるわけではありませんよね。
しかし、例えば、人に好かれたい、嫌われたくない、自分を隠したいと思う場合ほど
「人の気持ちを一生懸命変えようとする」
そんな気持ちに駆られることが少なくないようです。
これは人の気持ちを自分が望むような形にコントロールしようとしている状態といえます。
コントロールの心理について
人の気持ちをコントロールすることには
「恐怖から逃れる」
という目的が存在するものです。
コントロールの心理とは、意識的、無意識的かは別にして、自分自身が怖れを感じているから生じるもの。
自らが怖れから逃れたいと感じているとき、状況や他人を変えようとするために生じることなのです。
例えば、先程のあさおくんの事例で言うなれば
あさおくんは自分自身の体を怖れ、それ故に人の目を怖れ、嫌われることを怖れ。
その結果、Yesマンになることで人の気持ちをコントロールしていたわけです。
逆に、怖れを抱いていないのであれば、相手や今の状況、時には自分そのものをコントロールすることはあまり起きないとも言えます。
人からよく思われたいがゆえのコントロールを手放すために
ここからは「人からよく思われたいがゆえのコントロールを手放す方法」について解説していきます。
コントロールには「怖れ」がつきまとっていますから
「コントロールをやめよう」
とだけ考えても、なかなかうまくいかないことが多いようです。
コントロールする理由が怖れである以上、一体自分自身が何を怖れているのかを知る必要がある、とも言えます。
特に「怖れ」に関して何ら検討することもないまま、ただ行動だけを変えることは難しいでしょう。
だから「分かっちゃいるけどやめられない」という状態を繰り返すこともしばしばです。
特に、自分に厳しい人、自己評価が低すぎる場合は
「まず自分に厳しすぎる理由、自己評価を下げすぎている事実」
に気づく必要がある場合も多いです。
(転じて、いつも自分の考えや価値観を貫き通したくなる人も同じです)
その上で
「自分自身の気持ち、感情、観念などを見つめ直していくこと」
によって、コントロールを手放すことは可能になっていきます。
自分を認めてコントロールを手放そう
例えば、自分への厳しさや過剰な自己評価の低下が怖れを生じさせている理由なら
自分を肯定し、認めていくことで、結果的にコントロールしたい気持ちも手放せるようになることが多いです。
もし自分自身が「人の気持ちを必死にコントローるしているな」と気づいたら。
それこそ自分を見つめ直して丁寧に扱うサインとも言えるでしょう。
特に自分自身に対して
- 自分を必要以上に否定的に捉えていないだろうか。
- 自分の実力た魅力をしっかり認めているだろうか。
このような自分の態度や考えをチェックしていただくことをおすすめしたいところです。
自分をいい意味で謙虚に肯定的に捉えた度合いだけ、人をコントロールしたくなることは少なくなるでしょう。
(完)