超高齢の親との暮らし

私は超高齢(97歳)の母と暮らしています。
人生100年時代ですから、90代の人はもう珍しくもありませんね。
とは言うものの、年々気力体力が衰えて、今まで出来ていたことが出来なくなってきているのは確かです。
だから、どのような生活状態で日々の暮らしが出来ているかが大事だなと思います。

母は、おかげさまで認知症の症状はなく、自分で自分のことが出来る状態なので非常にありがたいです。

ただ、寒い時期には体の動きが一段と鈍くなり、いろいろなアクシデントがありました。
気候と心身の状態とは、大いに関係していると思います。

例えば、
私が居ない時に宅配便を受け取ろうとして足がもつれて転倒したり、日が暮れると急に不安になって妄想に取りつかれたり、手が震えて文字がまともに書けなくなったり。
そんな中、本人が一番ショックだったのは、お風呂で浴槽から出られなくなった時でした。

お風呂には、いつも私が先に入ります。
その後、浴室全体が温まってから母が入り、最後に湯船から出たら、お風呂の栓を抜いておくのが習慣になっています。

ところがその時は何を思ったのか、自分が湯船から出る前に栓を抜いてしまったのです。
お湯の浮力がないので、手すりにつかまっても体が持ち上がらなかったようです。

私はリビングで「今日はいつもより長風呂だな。」くらいにしか思っていませんでしたが、突然、お風呂からの呼び出し音が鳴りました。

「今まで押したことないのに、もしかしたら押し間違いかな?」
と思いながら見に行くと、お湯の抜けた浴槽の中でもがいて立ち上がれずにいる母を発見しました。

びっくりして助け起こして脱衣所まで連れて行き、パジャマを着せてようやく一息つきました。
この一件で、母はすっかり自信喪失になってしまったようです。

同年代の方が、お風呂での事故で亡くなったという話はよく聞きます。
それを思い出したのでしょう。
涙声で言います。
「私も、もうあかんわ。」
「あんたがいなかったら、これで死んでてもおかしくなかった。」
「どっちにしても、もう長くないし。」

しばらく繰り言が続いたので、私は、とにかく否定せずに黙って聞くことにしました。
なぜなら過去に、些細なことで強い不安を感じて被害妄想気味の話をした時のことを思い出したからです。

こういう時、頭から「そんなことない!」とか「何言ってんの!」と励ますつもりで言っても、効果はありません。
それよりも「怖かったなぁ。」「そりゃあ心配になるのも無理ないわ。」と、寄り添う聞き方をした方が、不安を感じている相手は落ち着くんですね。

ひとしきり母がしゃべり終えた後、言ってみました。
「お母さん、よく呼出しボタンのこと覚えてたね。」って。

母:「前にこれ何?って聞いたらあんたが【呼び出しボタン】って言ってたのを思い出してん。」
私:「よくまぁ、とっさに思い出したこっちゃ。頭しっかりしてるやん。」
母:「まだ寿命があるんかな?」
私:「そうみたい。寿命がある間は、しっかりおってもらわんと!」
母:「そやなぁ、ホンマや。」
これでひとまず治まりました。

さて、大事なのはここからです。
今後もあり得る、この事態を回避するにはどうしたものか?

この後、母と取り決めたこと
それは、お風呂から上がる時には必ず呼び出しボタンを押す、ということです。

リビングにいる私が、その呼び出し音を聞けば「ああ、もう上がって来るんだな。」と分かります。
そして、浴室を見に行く。
自力で浴槽から出ているならそれで良し。
万一、自分で出られなくなっている状態だったとしても、私が手助けできます。
この取り決めは、母にかなりの安心感をもたらしたようです。

もっとも、この頃のように過ごしやすい気候になってくると心身の調子が良く、それゆえに呼び出しボタンを押すのを忘れることもありますが、それはそれで結構なことです。

こんな感じで、母は超高齢とはいえ何とか自宅で生活が出来ています。
友人や知人が、私のことを気遣って「お世話、大変なんじゃない?」と言ってくださる方もいるのですが、自分ではさほど無理している感はありません。

いざとなれば姉にも頼るし、行政のお世話になることも視野に入れています。
流れには逆らわず、その時その時で、出来ることをやれば良いんですよね。

日々、つつがなく暮らせることが幸せ。
「寿命がある間は、しっかりおってね。」
そう思っています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

1957年生まれのシニア世代。 自身の豊富な人生経験を生かした、自分らしく生きていくためのサポートが好評を得る。 得意ジャンルは、対人関係・自己啓発・恋愛。 “何かを始めるのに遅すぎることはない”の言葉通り、いくつになっても新しい人生を切り開いていけることを、身をもって実践している。