生かされているという気持ち

私たちは人との関わりの中で生かされている

私たちは最初はやりたい、やろうと思って始めたことでも、それに慣れてしまうといつの間にか「やってあげている」という気持ちを強く感じることがあります。しかし、自分が与えるばかりと思っていた関係性の中にも、実は受け取っているものもとても大きいのです。私たちは人との関わりの中で、生かされているのです。

心理学に造詣の深い友人がこんなことを話してくれました。

災害があって、町全体が大きな被害を受けた時、同じマンションに一人暮らしのおばあさんがいました。

いつもは一人で元気に生活をされている方だったのですが、電気も来ない、水も来ないという環境になり、さぞや大変だろうなぁと思い、差し入れを持ってお伺いしたら大変喜んでくれました。

最初は困ったときはお互い様という気持ちで差し入れを続けていました。おばあさんは、差し入れを持って行ったりご機嫌伺いに家を訪れたりすると、とても喜んでくれて感謝してくれました。

しかしそれを続けているうちに、私の心の中にはどうして私がおばあさんの面倒をみなければいけないのかという思いが湧き上がってきました。何となく自分が犠牲になっている感覚を覚え始めたのです。

おばあさんも大変なのかもしれませんが、私だって大変なのです。

それで、おばあさんの所に行くのを止めようと思い、徐々におばあさんから離れるようにしました。

そうすると、何か心にぽっかりと穴が空いたような気持になりました。

それで私は、はたと気がついたのです。

おばあさんのお世話をしていた私は「やってあげている」という意識が心の中にあったのだと。そしてそれが私の犠牲的な感覚に火をつけたのだと。

おばあさんに差し入れをしたり家にお伺いしたりしている時の私は、災害という混沌とした中でもおばあさんを気に掛け、行動するという“やるべきこと”があって日々を送っていたのです。

それで心の中に張りができて日々を送ることができていたのです。

おばあさんの事を気に掛けたり、色々差し入れをしたりしている私は、おばあさんの面倒を見てこの災害の中で生かしてあげていると思っていました。

しかし実は、この災害の中で生かされていたのは私の方だったのです。

私たちは最初はやりたい、やろうと思って始めたことでも、それに慣れてしまうといつの間にか「やってあげている」という気持ちを強く感じることがあります。

それがいいとか、悪いとかの話ではなくて、そう思うには様々な理由があります。

特に自立的なタイプの人は、依存を嫌って自立しているので、同じことを繰り返しているうちに相手の気持ちや振る舞いは変わっていないにも関わらず、依存的に見えてしまい、自分がやってあげている感覚がだんだん強化されてきます。

親子関係、夫婦関係、恋愛関係、介護における関係など、その間柄の関係性のバランスの中で生じる、与える立場の人と受け取る立場の人との葛藤は、ほぼ、自立の立場となる与える側の「うんざり感」を呼び起こします。

そのような気持ちが芽生え始めた時には、その関係性の原点に立ち返ってみるのがいいのではないかと思います。

すなわち、どうしてその行動をしようと思ったのか、その行動から自分は何を得ているのか、です。

時に私たちは傲慢になります。
自分だけが一方的に与え、相手からは何も受け取るものが無いように感じるのです。
果たしてそれは真実でしょうか?

子供が巣立った後に感じる虚無感、介護していた人が旅立った時に感じる喪失感など、実際に接していた時には自分が与えるばかりと思っていた関係性が、実は受け取っているものも大きかったと気がつく機会なのです。

人間は、人と人との関わりの中で生きる生物です。

私たちは人との関わりの中で、生かされているのです。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。