楽しそうだと感じることすら自分に許せないことがあります
◇やりたいことが分からないという心理
やりたいことが分からないとき、私たちはつい、そんな自分はダメだと思うことがあります。
・休日に何をしたらいいのか、分からない
休日には趣味もなく、一日中家でゴロゴロしてつまらない・・と感じることもあるでしょう。何がしたいの?と自分に聞いても答えがないので、自分のことをつまらない人間だと思うかもしれません。
・この先どのように生きていきたいのか、分からない
今の仕事でいいのか、今のパートナーでいいのか、住んでいる地域や家など今の暮らしでいいのか、何に向かって生きていきたいのかがわからないため、自分のことを「やる気がない」「人生の目的もないダメ人間」などと感じることがあるかもしれません。
◇やりたいことが分からなくなる原因
今はやりたいことが分からない人でも、子どもの頃は色んなものに興味津々だったかもしれません。
たとえば、あなたが小学生のときに中学受験の勉強をしていたとします。
家で勉強机に向かっていると、窓の外から野球少年たちの楽しそうな声が聞こえてきたとします。
きっと近くの運動公園に野球の練習をしに行くところなのでしょう。
なんだか楽しそうだな。
野球をしてみたいな。
あなたはそう思ったとします。
ところが、中学受験に合格するためには、勉強をしなければなりません。
次の模擬試験でいい点数を取らないと、お母さんに怒られるだろう。
そんなふうに思ったかもしれません。
すると、野球をしてみたい、楽しそうなことをやってみたい、と思ったとしても、「だめだめ、そんなことより勉強だ」と気を引き締めたというのは、誰にでも経験があるのではないでしょうか。
興味あることを我慢して、やるべきことに集中するのは当たり前のようでもありますが、なかでも大変厳しく自分の興味を抑え込み我慢をした場合に、楽しそうなことや面白そうなことに興味を感じなくなってしまうことがあるようです。
物事に対する興味が消えたというよりは、何かに対して興味が湧いてきそうになるたびに、「それはいけないことだ」「そんなことをやっても何のためにもならないぞ」「他にやるべきことがあるだろ」「お金ばかりかかるぞ」「疲れるだけだぞ」などと、あたかも自分に興味を失わせようとする声掛けを、無意識のうちに心の中で自分にし、「やってみたい」という気持ちを感じないようにしていたのかもしれません。
今では、なにかに興味が湧きそうになるとオートマチックに自分でその興味を押しつぶすかもしれませんし、楽しそうなことに興味を感じることが、自分を悪の道に引っ張り込むように感じるかもしれません。
つまり、やりたいことがあったとしても、やりたいと感じるよりも前に、その興味を削いでしまおうという意志が無意識に働くのかもしれません。
楽しそうだと感じることすら自分に許せない、とも言えるのではないでしょうか。
◇やりたいことが分からなくなる人によくある特徴
楽しそうだと感じるものへの興味を抑えつけ、自分を律して我慢をしてきた方は、頑張り屋さんで、自分に厳しい努力家で、仕事などの結果も出せる優秀な方ではないでしょうか。
また、とても愛情深い人であるかもしれません。なぜなら、それほどまでに自分に厳しくできた理由として、親が怖かったとか、親が不機嫌になるからなど
「あの親のせいで我慢ばかり強いられた」などと感じるかもしれませんが、実はいつも怖くて不機嫌な親を「笑顔にしたい」とか、「いい気分にさせてあげたい」など、なんとか喜ばせたい、愛したい、という思いがあったと考えられるからです。
頑張って努力をしたのは「自分が自分が」という自意識過剰だからですよ、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、たとえ意識上は自分のためだったとしても、心の中には誰かを喜ばせたい、幸せにしたい、助けたい、などの思いがあることが多いようです。
◇やりたいことを見つけられるために(対策)
興味がわいてもそれを抑えつけるのが癖になっているとき、私たちはあたかも興味がわいていないように感じることがありますが、実は「面白そう」「やってみたい」という気持ちは自然と誰の心にも多少なりとも浮かんでいるのかもしれません。
でも浮かんだ瞬間に「そんなことをやっても意味がない」と打ち消したり、たとえ「今度やってみようかな」という気持ちになったとしても、いつになっても「お金がかかる」「もっと他にやるべきことがある」などのように論理的な「やらない理由」が浮かんできて、「やっぱりやめよう」と思うかもしれません。
「やるべきこと」をする自分は承認できるけれど、「やりたいこと」をする自分は承認できないと言えるかもしれません。だとしたら「自分が楽しめること、ワクワクすることをしてもいいんだよ」と自分に言ってあげるところからスタートしてみてはいかがでしょうか。
(完)