「好き」とはっきり言うことが悪いことのように思っている?
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
私たちはイメージアップをはかろうと言われると、メイクを変えたり、髪形を変えたり、おしゃれなドレスを着たり、ブランドもののバッグを持ったりすることが多いようです。
もちろんそれは悪いことでもなんでもないのですが、そうすることで、なぜ、イメージアップが図れるのか考えてみましょう。
たしかに、Tシャツとジーパンで街を歩くよりも、美容室に行き、メイクもばっちり決めて、フォーマルドレスを着ているときのほうが、歩き方が上品になったりしますよね。
なにが一番変わったかというと、あなたの内面がジーパンとTシャツのときに比べ、ドレスアップしたからなのです。
要は、外見的な身だしなみは内面的な変化を作るための手段なのです。
だったとしたら、もっと直接的にあなたの内面を表現してもいいのではないでしょうか?
たとえば、いつもジーパンしかはかない女の子が、たまたまスカートをはくと、より女性的に見えます。
しかし、スカートをはくということで、その子の中に隠されていた女性性にスポットライトが当たり、その子自身がより女性的にふるまうことで、すごく女性的に見えるのです。
いつもの彼女と今日の彼女の違いがコントラスト効果をつくり、今日の彼女の女性らしさをより強く見せてくれます。
人にっては「そんなの私の柄じゃない」と自分を否定してしまうことも多いのですが、「柄ではない」はどこかで「自分はそういう服は似合わない」と決めつけてしまっていることに気がついてほしいのです。
役者という仕事は、人間の中にあるいろいろな部分を表現するお仕事なのですが、役者だけではなく、われわれの人間の中にもいろいろな自分がいるのです。
ところが、われわれは、あまりにもたくさんの自分がいると、混乱してしまうので、「これが私なんだ」というように、自分を限定し、それを表現し続けます。ところが、そのことにすごく退屈してしまい、人生そのものをつまらなく感じてしまっている人もとても多いのです。
心理療法の一つに、「心理劇」といわれるやり方があって、ふだんなら決してしないような違う自分の人格を表現することにより、心のバランスを取り戻そうという手段なのです。
どこかで、ちょっとした冒険があなたの人生をいきいきとするものに変えてくれるかもしれません。
では、イメージアップの目的はなんなのでしょう?それは、あなたがどのようにみられたいかと言うことのはずです。
もし、あなたがどれだけドレスアップをし、イメージアップを図ったとしても誰も見てくれなかったとすると、まったく意味のないものになってしまいます。
ところが、私たちはどこかで自分を表現することが恥ずかしいようなのです。
中学や高校生のときに好きな人の前で好きだという気持ちを悟られたくないために、わざとつっけんどんな態度をとったりしたことはないでしょうか?どこかで好きな人と目を合わせることが恥ずかしすぎて、うつむいてしまったりしたことはなかったでしょうか?
ほんとうの意味で内面的なイメージアップとは、好きな人に見られたときにうつむくのではなく、笑顔で見つめ返すことができたり、いちばん大好きな人に誰よりも優しくできる勇気なのかもしれませんね。
どこかで、いちばん光り輝いているあなたを私たちはいったい誰に見せたいのでしょう?
深層心理を探っていくと、人に愛される人や、社会で成功している人は、必ず多くの人前でスピーチができたり、自分を表現したりすることを簡単にやってのけます。
どこかで自分に向けられたまなざしに対し、上手に自分を表現できるのです。
どこかであなたを見る目を避けてはいないでしょうか?
昔、私がカウンセリングをしたクライアントの話なのですが、鈴木さんは30代中盤の独身女性なのですが、相談内容はなかなか上手に好きな人に告白ができないというものでした。
好きになる男性はけっこういるのですが、告白するまでに時間がかかりすぎてしまい、告白したころには彼氏に彼女ができてしまっていたり、あまりにも長くお友達の関係が続きすぎ、相手が女性として観れなくなってしまったりすることが多いようだったのです。
いちばん彼女をくやしがらせていたものは「もう少し早く言ってくれればよかったのに」と男性から言われることが多いことでした。
なぜ、彼女はこんなに好きと言いにくい人なんだろうと私は考え、彼女の生い立ちを聞いてみたのですが、彼女のお父さんが小学校2年生のときに交通事故で亡くなっていらっしゃいました。
小学校2年生のころですから、学校に行ってもけっこうお父さんの話題がお友達の中では飛び交います。
「こんどの休みはパパに遊園地に連れていってもらうの」とか「きょう、帰り、パパが迎えにきてくれるんだよ」など。
しかし、彼女はお父さんがいないのですから、どれだけそれをほしいと思ったとしても手に入らないわけです。
ですから、彼女はいつも「お父さんなんか欲しくない」、「お父さんなんかはいらない」と自分に言い聞かせていたのです。
もちろん、そう自分に言い聞かせないと、彼女は生き延びていけなかったわけですから。
ところが、彼女も大人になって、男性を好きになりはじめても、なぜかこの子供時代からの大好きな気持ちが高まるに連れ、それを否定してゆくというパターンがクセになり、男性を好きになってもなかなか好きということを表現できないようでした。
そこで、彼女に大きな声で「お父さんが大好き」と言ってごらんと提案してみました。
彼女は言おうとするのですが、どうしても声が出ません。
もちろん何十年も自分にその言葉を許してこなかったから、しょうがないのですが。
一時間後に、彼女はボロボロ涙を流しながら、ようやく「お父さんが好き」と言えました。すると、堰を切ったように、今まで大好きだった男の人の名前を連呼しながら、「あの人もこの人もみーんな大好き」と泣きながら言い始めたのです。
そのセッションが終わるころにはとってもスッキリした顔で、まるで「長年の便秘が解消したようだわ」と大声で笑いながら帰っていってくれました。
これは、特別、わかりやすい例なのですが、われわれの人生のなかで、好きなものや欲しいものをどれだけがまんしてきたか想像して欲しいのです。
子供のころにオモチャ屋さんの前を通るたびに、「オモチャが欲しい」と言ったはずです。
でも、いったい、何回、オモチャは買ってもらえたでしょうか?アイスクリームが食べたいとあなたがダダをこねるたびに、怒られたりはしませんでしたか?もちろん、あなたがおなかを壊さないように、おかあさんは気遣ってくれたのでしょうが、そのころは、そんなことはわからなかったのです。
どこかで、私たちは、好きなものや欲しいものを「好き」とはっきり言うことが悪いことのように思っているようです。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!