それでも世界は歓迎している

諦めたくなかったのだと思います。
人生を。

不器用だけど、失敗ばかりだけど。
私なりに、一生懸命、生きていたから。

【近かったのに、遠かった】

今年は歩くことに再挑戦しています。

2020年3月、神経の病気にかかって重症化し、四肢麻痺で寝たきりとなりました。
急性期を過ぎて以降、リハビリを続ける毎日です。
ようやく、日常生活を賄う範囲は歩けるようになってきました。

神経が障害されると、筋肉に電気信号が行かなくなります。
残存した身体麻痺で力が入らず、身体はとても硬くなります。
「もう使わない」と認識されてしまった部位は、余計に動かなくなります。

もう一度動かすには、かなりの意志と根気が必要です。

自律神経症状が強かったために、身体を動かすとすぐにオーバーヒートしていました。
例えば、座っているだけでとても疲れてしまう。
横になるよりも座っている方が、心臓より高い位置に頭を置くことになります。
なんとか頭まで血流を送ろうと心臓が頑張るから、座るって結構疲れるんだよ、と、主治医から教わりました。

病後、本当に偶然の出来事から、能に興味を持つようになりました。
言葉の発しにくさへのリハビリとして、謡曲のお稽古を始めたのが今年の初めです。
一生懸命お稽古したからか、春の終わりに先生から、お稽古仲間とともに夏の錬成会にお誘いいただけました。

まだひとりでは公共交通機関を利用できず、車椅子を使わない遠出はしていませんでした。
でも、とても大きなチャンスだと感じたのです。
参加させていただきたいです、と、思わず先生に伝えていました。
錬成会までは、2ヶ月ほど。

医療保険や、障害福祉サービスでリハビリできる期間はとっくに過ぎ、昨年末からは自費リハビリの施設に、本当にいいご縁がついていました。
やりたいことが出てきたら、いつもお世話になっているPT(理学療法士)さんに相談です。

そんなわけで、夏の錬成会に出たいんです。自宅から最寄駅は車で行けます。
駅駐車場に停めて在来線に乗り、ターミナル駅まで出て新幹線に乗り換えて。
一駅乗って、送迎の車が来ているところまで歩きます。
これの往復なのですが……どう思いますか?

PTさんはよくよく考え、あらかたシミュレーションが済んでから、はっきりと提案してくれました。

「歩数管理をしながら、歩行練習をしていきましょう。」

ホスウカンリ……?
耳慣れない言葉に戸惑いましたが、簡単に言うと、歩く数を意図的にコントロールして、練習量を徐々に増やしてゆくことです。
段階的に身体を慣らしてゆくわけですね。

緊急入院から3年ほど経ち、まだ暑さは苦手ですが、ようやく自律神経症状も落ち着いてきて、急に動けなくなることも減りました。
いよいよ、本格的に歩行練習を始めることになったのが、今年の5月です。

2ヶ月後の錬成会に参加するためには、ふたつの課題をクリアしなければなりません。
ひとつめ、車椅子を使わずに公共交通機関を利用できるようになること。
ふたつめ、一日に6000歩を歩いても、つぶれないようになること。

歩行練習を始めたのが、ちょうど群馬で面談カウンセリングをしていた日でした。
いつもカウンセリングで使っている施設の近くに、コンビニエンスストアがあります。

午前と午後の面談の合間、昼の休憩でコンビニまで行き、買い物をして帰って来ることから歩行練習を始めよう、と考えたのです。
病前なら、5分かからない場所でした。

舗装された道なのに、ほんのわずか歩くと、疲れてくる。
道路は、自宅の床のように平らではないのがわかります。

歩みを進めると、ギシギシと身体が悲鳴を上げ、震えてくる。
使っていなかった身体を、いえ「もう使わない」と認識されている身体を、もう一度使うのが、こんなに過酷なことだとは思いませんでした。

コンビニに行って帰ってくるのに、20分以上かかりました。

歩数ははじめ、1日に2000歩程度が目標でした。
しかし、すぐそばのコンビニに立ち寄るのにこの有様です。
そもそも、普段、外出しない時の歩数は、多くて500歩程度です。

2000歩は、とても遠く感じました。

カート押しながらの買い物含めていいですからね、とPTさんにアドバイスをもらいました。
立ち寄るスーパーを複数箇所にしたり、ルートにドラッグストアや衣料品店を入れたり。
最終的には、近くのショッピングモールの2階を、歩行練習の場所として選びました。
ほぼ平地である、いつでも休めるようにベンチが多い、空調が効いていることが決め手です。

すぐ息が上がるので、少し歩いては座りを繰り返します。
普通に歩いている人たちを羨みながら、凹みながら。

歩行練習開始ひと月後に、公共交通機関の利用練習を兼ね、隣の県へ一泊旅行に行くことにしました。
駅まで車で行って駐車場に停め、在来線に乗り、新幹線に乗り換え、到着してからしばらく歩く。
錬成会当日の状況を擬似的に再現して、予習をしようと思ったのです。

新潟県長岡市。
病前、趣味のプロレス観戦で遠征しました。
病後、車椅子で公共交通機関を使って遠出した場所でもありました。
偶然ですが、PTさんの出身地だとも聞いていました。
長岡なら、彼も私も知っている場所で、移動のシミュレーションがし易く、練習案が立てやすいだろうと考えたのです。

「1日に6000歩を歩けるようになっておければ大丈夫でしょう。さらに歩行練習を重ねれば、長岡からひと月後の錬成会もいけると思いますよ。」

四苦八苦して2000歩に慣れ、3000歩、4000歩と歩数をあげて行きましたが、苦戦してかなりオーバーワークをしていました。
どうにか6000歩に達したのは、長岡行きの直前でした。

歩行練習の甲斐あって、駅構内移動、在来線乗車、新幹線乗換は思ったよりスムーズでした。
しかし、改札を出てからが、めちゃめちゃキツかった。

宿泊先は、プロレス会場の施設すぐ隣。
駅から近い、と選んだはずだったのに。

歩きながら、徐々に気落ちしてゆきます。
行ったことある場所なのに。
知っている場所なのに。
いや、だからこそ、なのかな。

「アオーレ」って、こんな遠かったっけ……。
※アオーレ長岡:長岡市庁舎に併設された多目的ホール、旧長岡市厚生会館。
三条市厚生福祉会館とともに新潟におけるプロレス聖地の一つ。

病前なら、徒歩5分の場所でした。

途中で何度も立ち止まって休み。
息が切れ、汗が止まらず、身体が震え、脚が動かなくなり。
座って休憩できる場所で、動けるようになるまで休み。

隣接したホテルにチェックインできたのは、駅に到着してからおよそ40分後。

病前、楽しかったアオーレでのプロレス観戦を思い出しました。
ビッグマッチの叶う、大きくて綺麗な会場です。
メインイベントで勝ったレスラーの代名詞となった演出は、とてもキラキラしていました。
泊まったホテルや、改札前のスターバックス、駅ビルの吉野家(※当時)で人気レスラーを見かけてテンションが上がりました。

あの時はもちろん。
歩けなくなるなんて、思いもしなかった。

病後、アオーレ長岡で新潟プロレスの10周年興行を、車椅子観戦しました。
まだ、声出し応援は出来ず、マスクもつけて、ソーシャルディスタンスを保ちながらですが、目の前で選手を見て、ああ、どの団体も無観客試合ばかりだったけど、ようやくプロレスが戻ってきた、私も観戦に復帰出来た、と心からのよろこびを覚えていました。
私が観に来られたことを、涙を浮かべてよろこんでくれた、事情を知っておられるスタッフさんもいました。

あの時から一年以上、経っているはずなのに。
私が今、自分の足で立って歩くとなると、まだこんなに遠いのか……。

それでも。

新潟の美味しいものを食べて帰ってくるというご褒美を設定していたので、夕方には予約していた駅ビルのお店まで、執念でもう一度歩きました。
私を釣るには、美味しいものがいちばんなのです。
歩行に慣れてきたのか、宿に戻るときには、大変だけど一歩一歩を丁寧に歩こう、という気持ちになりました。

【どうせ自分なんかという「観念」】

お土産は亀田製菓のサラダホープ、新潟県外ではあまりお目にかかれません。
「僕サラダホープ好きなんですよ〜」とPTさんは受け取ってくださり、さらにひと月後への練習プランを練りました。

錬成会当日はすっかり夏で、避暑地にも関わらずかなり暑かったです。
とてもバタバタした1日でしたが、ターミナル駅でお稽古仲間のお姉さん方と「楽しかったね〜」と笑顔で別れることが出来ました。
だいぶ下駄を履かせて下さった気がしましたが、先生にも「上出来でした」と言っていただけました。

管理しながら、着実に歩数を積み上げることが出来た成果です。
歩行練習がしんどすぎて、めちゃくちゃ凹みましたけどね!

PTさんへのフィードバックのためにリハビリ記録をまとめながら、ふと気づきました。

誰かに支えてもらいながら、こんなにしっかり努力を積み上げて成果を出したことって、これまであまりない気がする。

この手の地味な練習、私はずっと逃げてきたから。

だけど、今回は、目標を達成することができた。
現実的で客観的な目標を立て、現状より、気持ち2割くらい強い負荷をかけることを継続して、身体が適応した結果。
地道な努力を積んだ結果。

もちろんまだまだ、思い通りではないけれども、歩けなかったのに、歩けるようになった。
不可能だったことを、可能にした。

いいしれぬ充実感があります。

できなかったことが、できるようになるって。
叶えてゆくって。
こんなに嬉しいことなのか。

ノリと勢いで生きてきた人生でした。
何かを始めても、続かないことの方が多かったです。

めんどうくさいこと、大変なこと。
地道な努力、光の当たらないところで何かを積み上げること。
たくさん、たくさん、逃げてきました。

カウンセラーになること、カウンセリングに携わることだけが、唯一の例外。

はっと、インスピレーションがきました。
実は、ものすごく大きな成功体験をしたんじゃなかろうか?
言うなれば「悪癖と手を切れた」感じ。

こうなりたいな、という憧れはあっても。
キャラじゃない、とか、私には無理、とか、私には似合わないなどなど。
こうなりたいな、が実現出来ると思えず、さまざまなことを諦めて生きていました。

正直に言うと。
どうせ自分なんか、という思いがとても強くて。
必要な努力を、はじめからしない。

真実の思いにすら、嘘をつく。

やりたかったことは、たくさんあったのに。
叶った夢だって、たくさんあっただろうに。

今でも思い出します。
学生時代、自分で書いた脚本で仲間を巻き込み上演した芝居の評判がよく、だいぶ年上の目の肥えたOBに「センスあるね、プロでやりなよ」と褒められた瞬間。

商業演劇なんて、絶対無理。私に才能があるわけがない、と思いました。
咄嗟に、夢を、ガシャンと打ち付けて壊したように体感したことを覚えています。

なのに、舞台で輝いている人を見ると、羨ましいと思ってしまう自己矛盾。

何を始めても、続かなかったのは。
どうせ自分なんか、何をやってもうまく行かないという「観念」が、強かったからです。

「観念」は、心における、対象の捉え方です。
自分や他人、世界を、どう見ているか、どういう思いを選択しているかが表れます。

過去に挑戦したことがうまくいかなかったり、望む結果を得られなかったりした現実があり、どうせ自分なんか、という「観念」を強く持つ。
誰もが経験することでしょう。

もちろん「観念」は無意識に思っているものです。
しかし「観念」に縛られ、前に進むことを止めている、と気づくことが出来たなら。

こうである必要はない、と意識して、違う現実を生み出すことも可能なのです。

「観念」は心にあるものです。
そして、心には制限がありません。

だからこそ「観念」は、何度でも問い直すことが出来るのです。

選択と結果は、常に因果関係です。
果たして、思いは何を選ぶでしょうか。
自分はここで終わりだ、もしくは、自分はここでは終わらない。
どうせ自分には無理、もしくは、道を切り開くのは自分。

2ヶ月をかけて、不可能を可能にした体験は、私にとても大きな恩恵をもたらしました。
誰かに支えてもらって、必要な事柄を、必要な時間かけて繰り返していければ、不可能は、可能になると、今の私は素直に信頼が出来るのです。

めちゃくちゃしんどい歩行練習、麻痺して力が入らない部位に直面する挫折感。
何度でもやってくる惨めさ。
だけど、放り出さなかったのはなぜなのか。

あんなに苦しくて、辛かったのに。
ノリと勢いで生きていたころは、しんどいと思えば、ものであろうが人間関係であろうが、あっさりとゴミ箱に放っていたのに。

きっと。

諦めたくなかったのだと思います。
人生を。

不器用だけど、失敗ばかりだけど。
私なりに、一生懸命、生きていたから。

過去があって、今がある。
死に直面して、どうしても生きたいと願い。
生きることを、選んだ。

過去がどんなにみすぼらしく、みっともなかったとしても。
今がどんなに惨めであっても。
どんな未来になろうとも。

それでも希望を感じさせる人に、何度も、何度も、出会うから。
人生をゴミ箱に放り投げることが。

どうしてもできない。

【不可能は、可能に出来る】

病前は、カウンセリングやワークショップ、講演のお仕事に全力投球していました。
煩悶しながら苦手分野にも取り組み、めちゃくちゃ頑張っていました。
入院する前年は、ずっと努力し続けてきた講演で、全国1位の称号をいただけました。
確定申告前に入院したため、ようやく今、入院前年の申告書に手をつけていますが、経費の記録を見ると、ものすごく一生懸命働いている様子が伺えます。

だからこそ、悔しかったのです。とても。

病院でリハビリが出来る期間を終え、障害者施設に入所してリハビリをしていたある日。
麻痺して動かない指先をなんとか使い、チラシで箱を折っていたときに、ぽろぽろと涙が溢れました。

昼間の、のんびりしたラジオがかかっていました。
どこかから、いつも叫んでいる人の声が聞こえてきます。

輝いた場所から、一気に転落したように思っていました。

さまざまな人に支えられて、本当に少しずつ、復帰してゆきました。
カウンセリングサービスは1年半ほど休会しましたが、コロナ禍の逆説的な恩恵で、オンラインでの面談カウンセリングが可能になった世界に帰ってゆくことが出来ました。

もちろん今でも身体は、病前のようには戻っていません。
完全に元に戻ることはなく、後遺症は必ず残る、とは聞いています。
なんらかの形で「ハイブリッド」になるだろうと思っています。

悔しいからこそ、諦めたくないからこそ。
自分はここで終わりだ、という「観念」には、どうしても賛成できないのです。

私たちは、行動ではなく思いのレベルで選択をしています。
真実か、エゴか。

めちゃくちゃしんどいのは事実だから。
自分はここで終わりだ、というエゴに、うっかり同意したくもなります。
でも、こうである必要はない、と意識して、違う現実を生み出すことも可能なのです。

私たちはいつでも、真実を選び直すことが出来ます。

今年はひどく暑い夏でした。
錬成会後、1週間に1万5000歩を歩くことを目標にしていましたが、暑くて身体が追いつかなくてなかなか達成できず、秋を通り過ぎて冬になった今ようやく、目標を達成出来ました。

身体を動かすのは痛いです。
麻痺して硬いから痛いのと、遅れてやってくる筋肉痛と。
ギシギシと軋みながら、息を切らして歩きます。

諦めが悪いのでしょう。
往生際も悪いのでしょう。

仲間たちが、活躍をしているのを見れば。
とても、悔しいです。
本当に、悔しいです。

今の私は、歩くしかありません。
歩いて、身体の様々な可動域を広げ、筋力をつけ。
麻痺から回復する痛みを乗り越え、心肺機能を底上げして体力全体を元に戻してゆく。

ショッピングモールの2階を、ぐるぐると。立ち止まり、息を整え、汗を拭き。
カートを押してスーパーを、なるべく大回りして、歩数を稼げるように。

「心肺機能も強くなってきて、ベースの体力が、本当につきましたね。」
PTさんの言葉を励みにします。
思えば一年前は、歩くこともままならず、ペダル漕ぎから体力の回復を始めたのでした。

今も、出来ることには全身全霊ですが。

生きたいのです。
もっと。

どうせ自分なんか、という「観念」は、可能性の拒絶です。
もし、強く何かを諦めているのであれば、強く可能性を拒絶しているでしょう。

なりたい何かがあったり、叶えたい状態があったりするにも関わらず。
どうせうまくいかないからと、はすに構えてなんの努力もしなかったり、努力をする前に、放り投げたり諦めたりするのは。

世界を強く拒絶している証拠です。

まだ何も試していないのにも関わらず、自分には無理と思うなら。
既に、世界から強く拒絶された感覚があるはずです。

だけど、世界を拒絶しているのは、紛れもなく自分です。

ノリと勢いだけで生きていたころ、たくさんの可能性を、ゴミ箱に放っていたのは私。
どうせ無理だ、と、世界を拒絶してきた、私。

嫉妬を隠し、悔しさを切り離し、クールに取りつくろって、いつもどこか上から目線。
夢を叶えたくて、幸せになりたくて、這いつくばってでも生きる人を、カッコ悪いと馬鹿にしていた。

クールな自分が、好きだったわけじゃない。
だって、人を馬鹿にしたって幸せじゃないもの。

世界を拒絶してりゃ、そりゃあ。
世界からは拒絶されている感覚しか生まれない。
自分のことなんか好きになれるはずがない。

カッコ悪かったのは。
一体誰なのさ。

そもそも。

諦めたくない、ここで終わりだなんて絶対イヤ、と。
今、往生際悪く、這いつくばってでも生きる人は、私じゃないか。

2ヶ月をかけて、不可能を可能にした体験は、私にとても大きな恩恵をもたらしました。
誰かに支えてもらって、必要な事柄を、必要な時間かけて繰り返していければ、不可能は、可能になると、今の私は素直に信頼が出来ます。

世界は、私を拒絶なんかしていない。
むしろ、歓迎している。

しなければならない努力は、たくさんあっても。
真実を選び直さないといけないことは、たくさんあっても。

それでも世界は、私を歓迎している。
そうでなければ。

不可能が、可能になることなんか、ない。

真夏には、銀座Sixにある観世能楽堂を訪れました。
東京駅からはタクシーを使いましたが、車椅子を使わず、公共交通機関で行って帰ってこられました。

秋の終わりには、謡曲の先生がお出になるために、観世能楽堂を再訪しました。
上野駅から銀座線に乗り換え、全て自力歩行で行って帰ってきました。
めちゃくちゃ疲れ、数日動けませんでした。
しかし、もう一度、銀座を訪れる挑戦を計画しています。

夏が終わり、めちゃめちゃ頑張った自分を労うご褒美旅行も新潟でした。
また、新潟プロレスを見に行きました。大仁田厚選手の電流爆破は初めてでした。
めちゃめちゃ楽しかったです。
すごいテンション上がりますね、あれ。
何度かお世話になっているお寿司屋さんや、気に入っている道の駅で、美味しいものを食べてきました。

瑞花というお店の薄い揚げせんべいが、PTさんへのお土産です。
サラダホープとはまた、違う良さがあります。

「瑞花はおかき派と薄揚げ派といますけど、僕こっちが大好きなんですよ〜。」
よろこんでもらえるのは、幸せです。
回復のプロセスを、ともに歩んでくれている人なので、余計に。

「銀座再チャレンジに向けて、歩行練習中に意識して欲しいのは、腕ふりと、踵の接地と、歩幅です。全部一度にではなくて、その日その日で変えて大丈夫です。」

あのう…仕事が立て込んだりして、今日はあんまり歩けないなっていう日が出てきているんですけど、そういうときに、歩いても無駄にはならないですか?

「歩数稼げない時は、質的に負荷を高くしてみたらどうでしょう。腕振りをしっかり意識するとか。それだけで、負荷がかかるはずです。そういう練習方法だったら、時間は短くても無駄にはなりにくいですよね。」

まだ未達の目標があります。
階段を一段ずつではなく、普通に上り下り出来るようになること。
正座が出来るようになること。

来年はPTさんと、階段攻略の話ができたらいいなと思っています。

誰かに支えてもらって。
必要な事柄を、必要な時間かけて繰り返していければ。

今の私は素直に信頼が出来ます。
不可能は、可能になると。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、夫婦、親子関係を中心に、対人関係全般および、自分をそのまま肯定できるような、全体的自尊心を育むのが得意。 言葉になりづらく気づかれにくい、個的な感情・感覚に焦点をあてながら、「こころの力」が、よりよく発揮できる状態を目指すカウンセリングを心がけている。夫と実母の3人暮らし。