ご近所に、我が家で“ノンちゃんのおかあちゃん”と呼んでいるおばさんがいます。
おばさんといっても、歳の頃は80前後。
私の母親世代です。
私の母は私が23歳のときに病で突然他界しました。
もう30年も前のことです。
“ノンちゃんのおかあちゃん”を見ると「母が生きてたらこんな感じかなぁ」とよく思うのです。
なぜ“ノンちゃんのおかあちゃん”なのかというと、昔おかあちゃんは“ノンちゃん”というマルチーズ犬を飼っていたから。
ノンちゃんが天国へ帰ったのは6年ほど前でしょうか。
そして、もう3年ほど前に天国へと帰ってしまいましたが我が家では“チッチ”というトイプードルを飼っていました。
チッチはトイプードルという触れ込みで我が家にやって来たけれど、成長するにしたがって「トイというには大き過ぎるのでは?」という疑いを家族全員に持たれながらも、そんなことは我関せずで元気にスクスク育った愛犬です。
ちょっと怪しげなペットショップのオジサンに紹介してもらった、ちょっと怪しげなブリーダーさんから直接我が家にお迎えしたチッチでしたが、どう見ても微妙にトイプードルでは、ない。笑
けれど、そこがまたユニークでとても愛らしい。
当時まだ小学生の息子と保育園に通っていた娘は、弟のようにチッチを可愛がりながら18年間を共に成長しました。
そんなチッチとノンちゃんはよくお散歩で会っていたんです。
チッチはノンちゃんのことが大好きでノンちゃんに会うと喜んで飛びついていましたが、あまりにしつこくじゃれつくチッチに、ノンちゃんはよく怒っていました。
犬の散歩中あるあるですが、オス犬の散歩中にメス犬とばったり出会って、オス犬がメス犬にじゃれつくとき、オス犬の飼い主はけっこう焦ります。
「よそ様の大事な娘さんになんてことするの!早く離れなさい!!」とばかりにリードを引っ張らねばならぬのです。
初めてノンちゃんに出会ったときのチッチもご多聞に漏れずで、あまりにじゃれるチッチを怒りながら「すみませーん汗」とリードを引っ張り謝る私に「あー、いいよ、いいよ。チッチも女の子と遊びたいんや」と受け流してくれるおかあちゃん。
寛容さと懐の深さを感じました。
おかあちゃんは書道教室をしながら15年間ご主人の看病をしつつ、3人の息子さんを育て上げた肝っ玉かあさんです。
ご主人は遠い昔に他界されて息子さんたちもそれぞれ家庭を持っておられ、今、おかあちゃんは一匹のウサギと暮らしています。
ご近所なのでおかあちゃんとはときどき顔を合わせます。
私が出掛けようと玄関を出ると買い物に行く途中のおかあちゃん。
「おかーちゃーん」と呼びかけると「仕事かー?がんばれよー」とか、「息子は元気か?」「お嬢はがんばって仕事してるか?」などうちの子供たちを気に掛けてくれます。
娘に「おかあちゃん、気にしてくれてたで」と伝えると、しばらくしてから仕事帰りに顔を出してきたようで「おかあちゃんに『今の仕事じゃなくて他にしたい仕事あるねん』って相談したら『やりたいことやれ!さっさと行動しろ!』って言われた。なんか背中押してもらったわ」とのこと。
娘としてもおかあちゃんはおばあちゃんみたいな存在で、その応援はとても心強く感じたようです。
おかげさまで、現在娘はしたい仕事のために試行錯誤しながらも動き出した様子。
私がカウンセリングサービスの母体の神戸メンタルサービスで心理学を学びだしたときは離婚騒動で疲れてもいたし、かなりヤサぐれてもいました。
人なんて信じられない。この先どうやってこの心を立ち直らせればいいのだろう。
一縷の望みを賭けて、藁をも掴む気持ちで心理学を学びだしたのです。
ワークや講座で「みなさんの幸せを願っている人は必ずいます。
あなたが気づいていないだけで。
それは会社の上司かもしれないし近所のおばちゃんかもしれないし、もしかしたらあなたが忘れ去った人かもしれない」みたいなことをよく耳にしました。
それを聞くたびに「んなわけないわ」「そんな綺麗ごと信用するべからず」「少なくともそんな人、私にはいないもんね」などと内心毒づいていました。
「それより立ち直る方法を教えてよ」「今のこのしんどさをなんとかしたいのに」と焦りにも似た気持ちと痛みでいっぱいいっぱいだったんです。
あの頃は自分の痛みしか見えていなくて、人から向けられた優しさや気遣いに全くと言っていいほど気づけていなかったなと思います。
けど、おかあちゃんと言葉を交わすようになってしばらくしてから「あれ!?そういえば幸せを願ってくれている人、ここに居た!」「あの教えは本当だったんだ!」と気づいたんです。
いつだったか、ノンちゃんとチッチを遊ばせながらおかあちゃんと話し込んだとき「あんたとこのお母さんはいつも明るくて働き者やったなぁ。まだ若かったからあんたら(兄妹私の3人)のこと気になってたやろうに。うちの息子らと歳変わらんからあんたらのことは気にはしてたんやで」と言ってもらったことがあったんです。
けれど、そのときの私ときたら「うん、ありがとう」といいながら「まぁ、フツーに社交辞令でそう言ってくれてるだけよね」くらいにしか思っていなくて、おかあちゃんの“思い”はさっぱり受け取っていなかったんです。
そもそも「みなさんの幸せを願っている人は必ずいます。」と話していた講師の人達自身が既に、その場にいる受講生の幸せを願いながらその話しをしてくれていたのだ、と今ならわかります。
一緒に学んできた仲間たちも、言葉にせずともお互いの幸せを願いあってきたよなぁ、と。
おかあちゃんこそが私が気づかないところで私の幸せを願ってくれていた人の代表として現れてくれて、その思いを伝えてくれた人だと気づくと、そんな人はたくさんいたのだと思い知りました。
そしてあの教えは本当だったのだと腑に落ちて、ありがたさが身に染みわたり感謝の念が湧き上がってきた感覚を今でも覚えています。
最近のおかあちゃんは、随分痩せて歩く速度も遅くなってきました。
この間の夏の暑い日、スーパーで買い物をして帰ろうとしたら背後でなにやら人の叫びのような声が聞こえましたが、気のせいだろうと車に乗ろうとしたとき、か細いけれど「待って~~~~」という声がはっきり聞こえたので、振り返るとそこには買い物かごをゴロゴロ引き摺りながら私を追いかけてくるおかあちゃんの姿が見えるではありませんか!
「誰かと思ったらおかあちゃんが叫んでたんやー!ごめんごめん、まさかおかあちゃんとは」といいながら荷物を積むと「あー、この暑い中死ぬかと思った。命拾いしたぁ~」と元気に笑うおかあちゃん。
「うちの長男は毎日電話してくんねん。クーラーつけてるか?水飲んでるか?って。しかも毎日。ほんまにうるさいやっちゃ」と嬉しそうに話すおかあちゃん。
つい先日、久しぶりに会ったときは「正月は息子らが帰ってくるからめんどくさいわ~」とニコニコ笑顔でおかあちゃん節が炸裂していて安心した次第です。
お正月の買い出しにお誘いせねば。
2024年もおかあちゃんとみなさんの健康と幸せを願っています。