あなたがパートナーから「してもらいたい」と思うことのすべてを、あなたのほうから与える
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
「パパとママは、私のことはなんでもわかってくれている」
子どものころの私たちは、当たり前のようにこう思い込んでいました。
ですから、子どもが親に対してもつ不満のほとんどが「なんで、わかってくれないの!」とか「親のくせに、わからないなんておかしい!」といったものです。
この考え方の裏を返せば、子どもたちはそれほどに親のことに興味や関心をもっているということがいえます。
「パパやママはなにを考えているんだろう」と、いつも一生懸命、興味をもって考えたりしているのに、自分が親に関心をもっているほど、親は自分に興味をもっていないということに不満をもっているのです。
そして、この不満は形を変えると、男女関係によくあるものだと思いませんか?
「私はこんなにあなたのことを愛しているのに、あなたから私への愛は感じられないの!」
「なんで、私のことがわからないの? このバカ!」
こんなケンカをしたことがある人は少なくないのでしょうか。
恋愛において、いつも文句を言っている人に共通の考え方があります。
それは、「愛してもらうべきは、私だ」というものです。
子どものころのあなたにとって、親は特別な存在であり、「この人たちは、私の面倒を見るためだけに存在している」と思っていたあなたは、親のことを人間扱いしていなかったかもしれません。
パートナーに対しても同じように、「この人は、私を幸せにしてくれるためだけに存在している」と思っていないでしょうか? しかし、それでは恋愛はうまくいきません。
これを“依存”の恋愛と私たちは呼びますが、依存したいのは、つまり、愛してもらいたいと思うのは、彼だって同じなのです。
もしも、「彼に愛されていない」という不満をもっているとしたら、それはあなたの中に怒りの感情を呼びます。
怒りに満たされた心は、幼稚な思考を呼び、冷静な判断や客観的なものごとの見方ができなくなっていきます。いわゆるヒステリックな状態もその一つです。
私たちはうまくいっていない恋愛関係では、いつも「なんで、もっと私を愛さないのよ」と怒っているようです。
「愛されるべきは私なのだけれど、あなたはそれをサボっている」というかんじです。
これを、もう一つ別の角度から見ると、こんな文句を言っているともとることができます。
「私は自分で自分の気分をよくすることができないのだから、あなたが上手に私の気分をよくしなさいよ」
こうした人々は、自分で自分を上機嫌にすることについて、なにかものすごい失敗感があるようです。
そこに存在しているのが、自己嫌悪や自己攻撃です。
「自分は愛されるのにふさわしい」と思えないときほど、人は相手から嫌われたり、ウンザリされたりするような愛し方をしてしまうものです。
結果、「なんだ、こいつ、わがままだな」などと思わせてしまうのですね。
それによってあなたが手に入れるのは、「ほーら、やっぱり、どの男も‥‥」というパートナーに対する失望です。
そして、この体験は、あなたの心の奥底にある「私を愛してくれる人など、どこにもいない」というネガティブな信念を強化してしまうわけです。
あるいは、この信念を証明するために、不毛な恋愛をしつづけているといってもよいかもしれません。
この不毛な恋愛から脱出する方法はあります。
あなたがパートナーから「してもらいたい」と思うことのすべてを、あなたのほうからパートナーに与えるというチャレンジをすることです。
このチャレンジをつづけるうちに、「自分がだれかによろこびになることができるのだ」という信念を強化していくことができるのです。
「私のパートナーは、私をよろこばせることができない」と文句を言うこと、それは、「私はだれのよろこびにもなることができない」と言っているようなものなのです。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!