愛のリーダーシップをとる
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
みなさんからいただくご相談で意外と多いのが、パートナーとの“競争”にまつわるものです。
なかでもみなさんがしてしまいがちなのが“正しさ”に関する競争です。
たとえば、ご主人や同棲中のパートナーが皿洗いをしたとき、「洗った食器の並べ方が気に入らない」ということはありませんか? あるいは、「洗濯物のたたみ方が違うのよねー」とか?
つまり、やり方の違いに、イラッとするというケースです。
人それぞれ、「私のやり方」に慣れていますし、「こうするのが正しいスタイル」だと思っています。
当然、あなたと違うやり方をするパートナーもやはり「自分のやり方が正しい」と思っているんですね。
で、ここで、やり方の違いの戦いというか、正しさの戦いが繰り広げられることになるわけです。
女性陣はパートナーに言います
「いつも、こうしてるんだから、その通りにしてよ」
男性陣はこう答えます。
「でも、こうしたほうが、効率的でいいだろう?」
男性陣の主張は、ほとんどの場合、効率にまつわることであるようです。
「そんなこと言ったって、いつもの私のやり方が、私にとっては効率的なのよ」
「それは、きみのやり方であり、一般的にはこうあるべきだと思うよ」
このとき、男性陣の話は一般論や常識論に向かいがちで、そうすると女性陣は自分が否定されたような気分になるものです。
「私のやり方が、普通じゃないっていうわけ‥‥?!」
自分を否定するような相手には、まったく愛を感じないわけですから、ここで戦争が勃発するわけです。
そして、こんなことが長期間にわたって繰り返されると、パートナーはあなたにとって「私を愛してくれる人」から「私のやり方や私自身を否定する人」になってしまいます。
さて、そんなとき、まるで事故のように私どものブログやYouTubeチャンネルに出会ってしまうことがあります。
で、「愛のリーダーシップをとりなさい」などという私の主張を聞いてしまったりするわけです。
すると、あなたはこんなふうに思っちゃいますよね。
「愛のリーダーシップ? なんで、あいつが悪いのに、私がやらなきゃいけないのよ? 悪いほうが間違いを正し、謝罪をするべきよ」
「もし、彼が謝罪してきたら、まあ、もう手遅れだけど、多少は考え直してもいいけどね‥‥」
私の書くブログがまるでパートナー側のものごとの見方であるかのように感じられ、「ふんっ、このデブが!」みたいになっちゃうこともよくあるわけであります。
しかし、じつはこのとき、みなさんがいちばん恐れているのは、百歩譲って、自分から彼に「もう一度、愛とロマンスのある生活をしよう」と提案したとして、それを「あのクソバカに拒否されるのでは?」ということです。
それはもう、いちばんの屈辱であるわけです。そんな思いをするぐらいだったら、冷戦をつづけていたほうがマシというものですよね。
でも、なぜ、拒否されるだろうと思うかといいますと、それは、長いこと、パートナーを愛する代わりにパートナーと闘ってきたあなた自身がパートナーを愛さずにきたからです。
「愛さない私が、愛されるとはとても思えない」というわけです。
その状態だと、万が一、彼のほうから謝り、もう一度、求愛をしてくれたとしても、それを疑い、すぐには信じられないあなたがいます。
それはそのまま彼にも投影しますから、「自分が愛のリーダーシップをとっても、彼は乗ってこないだろうから、そんなことをしても意味がない‥‥」と思うわけです。
この状況を一言でまとめると、「彼もあなたもじつは愛を求めているのに、それを認めることが恥ずかしいし、できない」ということになりそうです。
じつは、ここがいちばんの問題なのであります。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!