人は一度持ったイメージを、ずっと持ち続けていく傾向があります。
例えば頑固な父は何時までたっても頑固なイメージのままだし、頼りない兄弟はいつまでたっても頼りない兄弟のイメージではありませんか?
イメージは自分にとって近しい関係性であるほど、覆る事は難しいかもしれません。
ですが人は多面性があるので意外な一面に気が付くチャンスに恵まれると、一度持ったイメージが覆りその人に対する見方が変わります。
*頑固で堅物だと思っていた父が、会社では話し上手で笑い上戸であった。
*頼りない兄弟だと思っていたが、会社ではリーダーとして活躍していた。etc
病気やケガで入院した時お見舞いに来てくれた方の言葉や、告別式で故人を偲ぶ会話を耳にして意外な一面に気づかされたと思う方多いかもしれません。
意外な一面に気が付き一度持ったイメージが覆ると、その人に対する見方が変化し愛を感じる指数がアップする事で自分自身の豊かな時間が増えていくと思います。
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昨年の夏に私の父が他界しました。
父は、私の家族や妹家族に見守られながら、静かに天国へと旅立ちました。
父が亡くなり遺品整理をしていた時、押し入れの奥から埃にまみれた年代物のエナメルバックが出てきました。
エナメルバックは兎にも角にも埃まみれで、マスクをして手袋をしないと触れませんでした。
このバックは誰のもの?何時から存在するの?中身は何?変なものが入っていたら嫌だなぁと私は心でぼやいていました。
埃まみれのバックだったので、中身をチェックする気にもなれず暫くバックを放置していましたが、流石に何時までも放置するわけにもいかず、ある日恐る恐るバックのファスナーを開けてみました。
虫の死骸が出てきそうなほどのバックでしたが、中身を確認し始めたらおじいちゃんの兄弟達などの賞状や卒業証書、そして100枚はありそうなハガキが出てきました。
ハガキの消印を見ると昭和12年とか14年とか戦前に書かれたハガキが殆どで、レトロ感満載のものばかりでした。
ハガキはおじいちゃんの兄弟間でのやり取りが主なものでした。
おじいちゃんが弟達に書いたハガキがあった事が不思議ではありましたが、おじいちゃんの弟2人が戦死していたので、遺品としておじいちゃんの元に戻り保管をしておいたのかなと私は推測しました。
私のおじいちゃんは若い頃、軍人で青年学校の先生でもありました。
(*青年学校とは尋常小学校を卒業した後、勤労に付く為の社会教育をする場です)
おじいちゃんの眼光は鋭く存在自体も威圧的で威厳があり、「さなえ」と声を掛けられるたびにおどおどしている私がいました。
幼い頃私はおじいちゃんに、人様に後ろ指を刺されるような事はしてはいけない・挨拶はきちんとしなさいとこの二つを特に言われ続けていました。
近所の人に挨拶をしそびれた時など、おじいちゃんに「さっき挨拶していなかったな」と注意され、えーどこで見ていたの?と思い怖いなぁと身震いした時の事、未だに忘れられずにいます。
ホント怖かったです。。。
ハガキの字は達筆過ぎて読めない字が多かったのですが、ハガキを読む事で威圧的で威厳があって怖い印象のおじいちゃんが、実は弟思いで世話好きの優しい人に変化し、心がぽかぽかと暖かい気持ちになりました。
風邪はひいていないか?
貯金はちゃんとするように。
どてら(おそらく衣類の袢纏かなと思うのですが)がほつれていたら手直しするから、家に持ってかえるようになどなど、兄として弟達を思う気持ちに溢れていました。
おじいちゃんが書いた字は凄く綺麗でした。
私におじいちゃんが挨拶はきちんとしなさい、人に後ろ指刺されるようなことはしてはいけないと言っていた言葉が、私に対する愛情だったと心で思えるようになりました。
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〇〇な人だからという思い込みや固定観念により、一度ついたイメージがつきまとい苦手意識を持ち今以上に関わろうとしない傾向が人にはあると思います。
無理をしてまで関わらなくてもいいかもしれません。
ですが、〇〇な人だからと一度ついたイメージのまま、苦手意識を持った人の意外な一面を見逃しているかもしれません。
喧嘩して疎遠になっている友人と学生時代にやり取りした手紙や、ウザイと毛嫌いしていた母からのメッセージなど掃除をした時に出てくるかもしれません。
何気ない日常で、もしかしたら私のように時を超えて舞い込む愛に気が付く瞬間が、貴方にもあるかもしれません。
心には時間の概念がなく、過去に起きた不愉快に思う出来事や怖かった思いなどを変える事が出来ます。
貴方の誰かに対するイメージが変わる気づきになりましたら幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。