気分転換の方法は、いろいろあるでしょう。私が前々から興味があったものは「滝行」です。
滝行といっても、宗教的な修行というほど本格的なものではなく、いわゆる研修のような簡易の「滝行」をしてみたいと思っていました。
そして、2024年の夏、ついに滝行してきました。
その体験談と気づきを小話にしたいと思います。
◆水に流す
「水に流す」という慣用句があります。
「過去にあったことを無かったことにして咎めない」という意味の言葉です。
心理に当てはめるなら、「過去を過去として、終わったことにする」手放しであり、「過去へのとらわれから自分自身を解放する」許しにもなるでしょう。
滝行は、物理的に水の力を借りて体感する「手放し」と「許し」の行為といってもいいのかもしれません。
◆水温と水圧との葛藤のなかで
私がチャレンジしたのは、準備体操と禊ぎをして、3回滝に打たれるスタイルの滝行でした。
気温30度を超える真夏日とはいえ、滝の水は冷たく感じます。
そして、勢いよく流れる水の圧力は、足を踏ん張らないとまっすぐ立っていられないほどでした。
水温と水圧に圧倒されて、自然の偉大さの前には、無力でちっぽけな存在なのだと思い知りました。
でも、不思議と不快感はありません。
虚栄心や罪悪感など、心にまとった雑念が削ぎ落とされ、どんどん自分がシンプルになっていくような、あるがままの自分に戻っていくような感覚がありました。
◆「今ここ」への集中
次第に、滝に打たれながら「ただここに立つ」ことに全身の神経を集中させていくようになります。
それはまるで、「今ここ」に集中するマインドフルネスの状態です。
マインドフルネスとは、「今この瞬間」に意識を向け、身体感覚や周囲の状況、思考・感情・行動などについて、善悪の判断や評価を一切せずに観察していくこと。
結果的に、ストレスからの解放をもたらします。
滝行という場面が、強制的に「今ここ」への集中状態を作り出していました。
体は激しく打ちつける水を感じているのだけれど、心はどんどん平穏になっていく心地よさを感じました。
ちなみに、わざわざ滝行で強制的に自分を集中状態に追い込まなくても、普段の生活の中で「今この瞬間」に意識を向けて、あるがままを観察するマインドフルネスができれば、心は惑わされずにいられるでしょう。
◆「快」と「興奮」
滝行中、徐々に心が穏やかになっていく「快」の感覚がありました。
なぜか、ふと母胎で羊水に浸かっているような、懐かしい安心感がよぎりました。
水は冷たいはずなのに、心は確かにあたたかいもので満たされていくようで、何の根拠も理由もなく「許されていく」感覚に触れられた気がしました。
ただ水の流れに心身を委ねるうちに、癒しに導かれていきました。
そして、滝を出ると「興奮」が待っていました。
例えるなら、スポーツの試合を終えた時のような、バンジージャンプを飛んだ後のような、不思議な高揚感がありました。
きっとアドレナリンやドーパミンがいいお仕事をしてくれたのでしょう。
気分爽快で、リフレッシュできた実感がありました。
人が生後数ヶ月で様々な感情を獲得する前には、興奮・快・不快のみがあると言われています。
あくまで個人の感想ですが、滝行を通して過去の自分と感情をリセットし、快・不快と興奮のみの世界から生まれ直すような再生の体験になりました。
余談ですが、翌日には、無事に筋肉痛をお迎えしました。
思ったより、体力勝負なところもあるみたいです。
◆体験がすべて
実は、事前に滝行体験者の動画を観て、予習しまくりました。
「百聞は一見に如かず」で、視覚情報があるとイメージしやすかったです。
でも、実際の体験は想像以上で、たくさんの感覚と出会い、気づきが行列してやってくるものでした。
「体験こそが心を動かす」「体験がすべて」と、改めて思いました。
今回の私の場合は滝行体験でしたが、対象が何であっても、大切な体験になるでしょう。
「興味を持つ」「行動する」「体感する」の3点セットが、心を動かし、心を豊かにします。
私はこれからも体験にチャレンジし続けていきます。
この記事をお読みくださった皆さまにも、心を豊かにする体験がありますように。
皆さまのチャレンジを応援しています。