私には二人の子どもがいます。一人は発達障害の診断を受け、もう一人は不登校を経験しました。現代の子育てで、「発達障害」や「不登校」という深刻な悩みを抱える家庭は少なくありません。私も最初はとんでもなく葛藤しました。そんな私を支えてくれたのが「生きているだけで、いいんだよ」という言葉でした。
第1子の出産
今から15年前、私は第1子を出産。
「生まれてきてくれてありがとう。元気で生まれてきてくれた他に、何も望まない」
幸せと感動でいっぱいでした。そして「心をこめて子育てをしたい」と思った私は弊社代表の平にアドバイスをお願いしたのです。平は「親子ともに生きているだけで、いいんだよ」と言いました。
・生きているだけで、いいんだよ
正直、最初は拍子抜けです。
「こどもに十分な愛を与えなさい」など、愛に関するアドバイスだと思っていたからです。返ってきたのはシンプルすぎる言葉。「なぜ、その言葉だったのだろう?」と、疑問でした。
その言葉が私を支えてくれたのは、5年後のことです。
第2子の発達障害診断
2年後に、第2子を出産。3歳になる直前に第2子は発達障害の診断を受けました。
「なんで我が子が障害児なの?」
私はどれほど泣いたかわかりません。
発達障害について学んでいくうちに、自分にも障害の特性があると気づきました。「普通に産んであげられなかったのは、私のせいだ」 自分を責めました。でも現実は変わりません。 そのとき平の言葉が、蘇ったのです。
「生きているだけで、いいんだよ」
でも、言葉が蘇ったとて、葛藤を繰り返します。
「きっと、こどもも生きていたら苦しむだろう。こどもと一緒に、すべてを終わりにしよう」
追い詰められたこともありました。
・「生きているだけで、いいんだよ」の意味を知った
その後、病院・療育・学校と、本当に多くの先生方に助けてもらいました。
「障害があっても、いきいきと育ちますように」
心から願い、専門知識や技術でこどもに関わってくださるのです。先生の姿を見て、私がいかに後ろ向きで、こどもも人も社会も自分も信じず生きているか、直面します。
そして、一緒に障害児を育てるママたち。深い愛で前を向いて子育てしています。
「障害のある自分たちなんか、生きなくてもいいんじゃないか」と思った自分が恥ずかしくなりました。
たくさんの人と出会い「できる、できないにこだわると『地獄』が待っている。生きているだけで、いいんだよと受け入れたら、『幸せな毎日』が待っている」と、気づきました。地獄を体験しようと、幸せな日々を生きようと、障害を持って生まれた「現実」は変わりません。
「散々苦しんで悩んだし、もういっか」
時間はだいぶかかりましたが、現実を受け入れていきました。そうしたら拍子抜けするほどこどもといる時間が楽しいのです。こどもの笑顔にも、たくさん救われました。
ようやく「生きているだけで、いいんだよ」という言葉の意味を、知ったように思いました。
第1子の不登校
「この子は、私に似なくてよかった。私のような生きづらさを抱えずに、生きられるだろう」
と期待していた第1子。友達や先生とも良好な関係を築き、私にとって「期待の星」でした。しかし、2年ほど前から徐々に学校に行き渋り、次第に不登校になりました。私は
「うそでしょ。お願い!うそだと言って」
とんでもなく動揺しました。
私は「この子だけは、普通に育ってほしい」と願っていたのです。こどもは、「普通」という漠然とした大きな期待と責任を背負い、限界を迎えたのかもしれません。目の前のこどもが苦しんでいるのはわかっている。でも私は「学校行きなさい!」と、言ってしまう。
その言葉がこどもを追い詰めているのはわかります。私だって追い詰められていく。焦った私は先輩カウンセラーに相談しました。「お子さん、生きているだけで、いいじゃない。なんで受け入れられないの?」と、言われたらどうしようと、怖かったのです。だって私、そうは到底思えないから苦しいのです。
・「生きているだけで、いいんだよ」を具体化すると
先輩カウンセラーの答えは
「親子で、楽しんでおいでよ」
でした。「具体的だし、それなら今すぐ、私にもできる」と、心底安心しました。
私はこどもと外食やお出かけを楽しむようになりました。こどもも次第に笑顔を見せるように。その時自然と私も「学校に行こうが行くまいが、生きているだけで、いいんだよ」と、思えるようになりました。「生きているだけで、いんだよ」を具体化すると「親子で、楽しむ」なのかもしれません。
そこから半年ほど経ち、担任の先生が変わり、先生からお声掛けいただいて保健室登校から通常登校するようになりました。
自己肯定感
この「生きているだけで、いいんだよ」と思えることを、自己肯定感と呼びます。
私たちは他者の期待に答えるために生きているわけではありません。何者かになろうと背伸びしすぎず、自分をそのまま生きていいのです。それは「生きているだけで、いいんだよ」という自己肯定感です。自己肯定感は、怠惰のすすめではなく、いきいきとその人らしく生きるためのとても大事な土台です。第1子も、この自己肯定感を育めたことで、再登校につながったのかもしれません。
「生きることの不安」と「生きているだけで、いいんだよ」
「生きているだけで、いいんだよ」この自己肯定感を育む言葉に、救われる親子がいると思っています。
不登校や発達障害と向き合う日々は、辛さ、葛藤、苦しみ、そして「生きることの不安」を抱えるケースもあると思います。だからこそ「生きているだけで、いいんだよ」この自己肯定感がとても大切だと、私は思います。
「結果を出すことが大事」という環境のなか、多くの方が育ちます。すぐには「生きているだけで、いいんだよ」なんて思えない方も多いと思います。だから、たくさん悩んでいいのです。いっぱい悩んだからこそ出せる答えがあります。そして、私は悩みながらでもたくさんの人に出会ってほしいと思っています。なぜなら、子育てのヒントにたくさん出会えるからです。
そして、「生きているだけで、いいんだよ」という自己肯定感を育むメッセージも、読んでくださっているあなたのヒントになれたら嬉しいです。
来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。