ただ元気であることの幸せ

去年の12月30日の夕方。夫婦そろってインフルエンザA型にかかりました。

予防接種もいっさいが効力なく、私は持病の喘息もひどくなって、正月はほぼ動けない状態になりました。

お雑煮も、おせちも何も用意が出来てなくて、買い物にも行けなくて、私たちは食欲がありませんが、元気な息子には何もしてあげられないままでした。

そんな中、感じたお話です。

子どもが元気でいるということ

・親の病気

私は子どもの頃から持病は少し持っていましたが、大きくなってから出てきたのが喘息です。喘息はアレルギー疾患を持っている場合なりやすいと聞いています。そしてアレルギーは遺伝しやすいようなんですね。なので、息子が喘息にならないかということを心配しておりましたが今はまだそれは出ていません。
それでも私に喘息症状が現れたのはかなり大人になってからですから、まだ息子もどうなるか分からないんですよね。
喘息があると、風邪が肺炎になりやすく、二度ほど入院をしている私はかかりつけ医に日頃から注意をされています。気を付けてはいますが、30日。夜中に徐々に熱が出て、そのまま年末年始でしたからどうにもならず。
私より先に旦那様がインフルエンザになっていて、それを素直にそのままもらったようでした。

だけど31日は我が家の集まりがあり、
正月空けて3日は旦那様の実家で集まりがありました。

家で介護のようなことはさせたくなくて、残念ですが私たちは家にいて、息子一人で行ってもらいました。
向こうですき焼きを大勢で囲み、そりゃもう楽しかったようです。
だけど帰ってきたら咳き込みしんどそうな親二人。
気を遣っていろいろ動いてくれる息子。
不憫すぎる。

だからなるべく友だちと遊ぶように外出を促して、それでも帰りには何か欲しいものはないかと必ず連絡をくれました。
そんな状況が正月空けてもしばらく続きます。
そんな時息子のことをいろいろと考えました。

 

・ただ元気というだけで

私たちは水とお茶、そしてポカリスエットくらいしかずっと口に出来なくて、でもそんな私たちの病気をいっさいもらうことのない息子が帰ってきます。
家が狭いもので、彼が帰ってくるときは家の空気を入れ替えて、少々お寒ぅございます。
距離を空けながらも、息子は今日あったこと、楽しかったことを帰ってくるとすぐに話してくれます。
私たちは寝込まない限りは話を聴きます。
友だちと夕食はこれを食べた。あれをして、これをしに行って盛り上がった。
その楽しそうなこと楽しそうなこと。
それがただ嬉しくて。
一緒に生活している限りは、息子の近くに寄ってしまうこともあるし、同じ家の中の空気には当たり前のように日々触れてしまいます。
それでもこの子にはいっさい影響がなくて、毎日元気でいてくれる。
自分がこれだけ苦しくとも、ただそれだけでとんでもなく私は幸せだなあと、何だか改めて感じました。

 

今の幸せを日々しっかり感じていたい

・欲張りになる私たち

子どもを出産するときは、きっと多くのお母さんが思うのではないでしょうか。
ただ、五体満足に生まれて欲しい。
ただ、元気に生まれて欲しい。

そして赤ちゃんの顔を見たときは、
いっぱい笑って生きて欲しい。そして幸せでいて欲しい。

何も望まず何も欲することもなく。
だけど私たち人ってどうしても欲が出ちゃうよね。
何も望んでいなかったはずなのに。
次第に、もっとこうならないか。どうしていつもこうしないのか。
こうあって欲しい。こんなふうに育って欲しい。
親の希望や親の期待が多かれ少なかれ出て来てしまう時もあると思います。

それが自分の過度な期待や要求だって気づかなかったら、そうしようと努力しない我が子…と解釈をしてしまってイライラすることもね。
でも私たちは人だから、そんな完璧な親にもなれるわけがありません。

でも今回自分の高熱の状態で、改めて子どもと自分のかかわり方を考えることが出来ました。
親の持っているウィルスにも影響されず、しっかり食べて、毎日楽しそうにしていて、人が生きて行くのに元気であるということがこれほど大切なことなのに、そういう我が子の姿をちょいちょい見失ってしまう。私も結構エゴを持っている母親です。

 

・親も日々精一杯でそれでいい

私たち人って、ないものねだりばかりですね。
比較もそうだし、嫉妬心も同じ。
自分が持っているものを認めてあげることが出来ず、持っていないものばかりに目を向けてしまう。
親もひとりひとり考え方や価値観は違っても、皆さん子どもには一生懸命で、自分自身のことだって、自分なりに精一杯です。
それでも、誰しも自分が持っていないものが、光り輝いて見えてしまうことってあるんですよね。
自分から見て素晴らしいと思う容姿、才能、経済力。
そんな時は大抵自分のことはちゃんと見ていないんですよね。
自分の今出来ていることを認めていないとどうしても、それは子どもにも映してしまう。
子どもの今出来ていることを認められず、それ以上を求めてしまう。
それは私も同じです。
でも今回長い高熱を経て、自分がいかに日々楽しく生きていたのかを思い知りました。
ただ、健康だった。
それだけのことなんですけどね。
あまりに高熱がしょっちゅうで。あまりにも食欲がない日が続き、それだけのことがすごく大きな宝物で、何にも変えがたいものに感じました。
日常だったものはなかなか日頃気づけないですね。
元気だからってそれだけやしなーって。
そうじゃありませんでした。
親も子どもも、ただ元気である。それが一番の幸せかもしれません。
そんなことを感じていた私にとっては、ある意味特別な年末年始だったと思います。

今回の私事の記事が、子育て中の皆さんに少しでもお役に立てれば幸いです。

次週は、高塚早苗カウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

 

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About Author

アルコール依存症の父からの虐待経験、学生時代のいじめから、恋愛依存、不倫や風俗を経て、自分を抑え付けるような結婚生活後、8年で離婚。その後自分に向き合い、今は穏やかに生きる。 過去のあらゆる経験をもとにして、恋愛関係、家族関係を得意とし、お客様と共に成長するスタイルを取る。