人生は何が幸いするか分からないもの

どんな人の人生の中にも「転機」と言える出来事はあると思います。
それは、自分にとって最悪の事態だったかもしれません。

でもその後、今までとは違う道を歩み始めた時
「あの出来事があったからこそ、今こうしていられるんだな。」
と、思うことも多いものです。

人生は何が幸いするか分かりません。
そういう経験を私は今、目の当たりにしています。

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜

私の母は、99歳になりました。
ちなみに、現時点で認知の衰えはなく、家の中では介助なしに過ごせる状態です。

けれど去年大病をして2か月も入院し、本当に棺桶に片足を突っ込むようなところまで行きました。
そこから回復したんですから、我が親ながらあっぱれです。

それまでも年の割には元気で、介護保険を使うこともなかったので、少なからず「元気で長生き」を自負していたと思います。

ところが、ある日突然ろれつが回らなくなりました。
ろれつが回らないと言うと、一番に頭をよぎったのは脳障害です。
けれど、病院で検査してもらっても脳に異状はありません。

いったん自宅に帰りましたが、その後意識障害を起こし、救急搬送されるという事態になりました。
結局詳しく調べた結果、低ナトリウム血症でした。
なぜか塩分を体内に取り込むことが出来なくなって、意識を失ったのでした。

医師からは、「年齢が年齢なので意識が戻らないまま亡くなる可能性もある。」と言われました。
その場合の延命治療はどうするか?
そんな話も出ていたので、最悪の事態を想定せざるを得ませんでした。

覚悟を決めて翌日緊急病棟に行くと、受付で「一般病棟に変わりましたよ。」と言われてびっくりです。
なんと一日で意識を取り戻していたのでした。

とは言え、高齢者がわずかでも寝込むと足腰が衰えます。
脳に損傷はなくても、ダメージを受けたことで一気に認知症になるかもしれないとのこと。
どこまでも、心配のタネは尽きません。

ともかく不安を抱えながらも、症状は回復したのでリハビリ中心の治療に切り替えることになりました。

主治医、看護師をはじめとするスタッフさんの手厚い介護を受けて、ほぼ倒れる前と同じくらいの機能を取り戻し、無事退院となりました。

それまで使っていなかった介護保険は、入院中に認定を取り直しました。
そして、今後の母に一番ふさわしい生活を考えた結果、ディサービスを活用することにしました。

ディの運営にもいろいろあるようですが、何よりも入浴サービスがあることと、適度なリハビリを取り入れているところを希望して、ケアマネさんに手配してもらいました。

最初は、気が進まなかったみたいです。
そんなところにお世話になるなんて、まるで自分が一人では何もできないダメ老人になるような気がしていたのかもしれません。

お試しで行ってみたところ、ご機嫌で帰ってきたので安心しました。
でも、感想を聞くと「イヤではない。」と消極的な返事です。
大丈夫かな?
まぁ、イヤならお風呂だけ入れてもらってお昼過ぎには帰って来ることも出来るし・・・。

ひとまず、週2日で申し込みました。

しばらくすると、母の様子が変わってきたんです。
「今度は、いつ行くん?明日?」
毎日のように聞くので、その度に「明後日だよ。」とか「来週ね。」と言うとガッカリした顔になります。
さっき聞いたばかりなのに、「明日は行く日やな。」と言うので、またまた「明後日だよ。」の繰り返しです。

『あら?よっぽど行くのが楽しいんだ。』
そう言えば、車で送ってもらってドアが開いたとたん【ああ、楽しかった~!】というオーラが漂っています。

そんなに喜んでいるのなら、もっと何とかしてあげたくなるのは人情です。
ケアマネさんに、もう一日増やせないか尋ねてみました。
すると、介護保険の利用点数から見たら、可能だろうとのことで、早速施設に連絡してくれました。

「日数を増やしたい」という要望は、施設側からしたら利用者が高評価していることになるので、願ったり叶ったりだったようです。

週3回のディサービスに加え、別途毎週の訪問リハビリ、かかりつけ医の往診、月1回の訪問看護師などなど。
これで母の日常は、一気に忙しくなりました。

高齢者の暮らしに必要なのは「きょうよう」と「きょういく」だと言われています。
はぁ?なにそれ?ですね。

「きょうよう」は「今日、用事がある」
「きょういく」は「今日、行くところがある」
なんです。

母は、まさに「きょうよう」と「きょういく」の両方を手に入れた感があります。

おかげで私は、売れっ子タレントのマネージャーのごとく、母のスケジュール管理に追われる毎日です。

母の晩年が、こんなに充実したものになるとは夢にも思いませんでした。
意識障害を起こして緊急搬送された時に、こんな未来があるなんて誰が想像できたことでしょう。

入院中に若いスタッフさんと楽しく関わったことも、「人のお世話になる」という垣根を低くしたような気がします。

病気になって良かったとは言いませんが、病気になっていなかったら、こんなにスムーズに生活習慣を変えられたかどうか疑問です。

あの時が母の転機だったな、とつくづく思います。

もう一度言いますが、
人生は本当に何が幸いするか分かりません。

今起きている悪しき事態は、まだ見ぬ世界の扉を開くかもしれないのです。

今日も私は、「明日、何着て言ったら良い?」と聞く母に応えて、「このセーターにはこれが良いんじゃない?」と、ファッションアドバイザーまでやっています。

最晩年にも関わらず、生き生きして楽しそうな母を「こんなに幸せな人、おらんやろ」と思わずにはいられません。
そんな母を見る私も、「幸せ」だと言えるでしょうね。
きっと!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

1957年生まれのシニア世代。 自身の豊富な人生経験を生かした、自分らしく生きていくためのサポートが好評を得る。 得意ジャンルは、対人関係・自己啓発・恋愛。 “何かを始めるのに遅すぎることはない”の言葉通り、いくつになっても新しい人生を切り開いていけることを、身をもって実践している。