「尽くし過ぎると言われるけど、これは愛でしょうか?それとも犠牲?」
「彼のことを忘れられないんだけれども、これは単なる執着ですか?」
せっかくの懸命な想いに対して、「これは愛ではない」と心理学で一刀両断してしまうのも情け容赦なく、どうかと思いますが・・。
問題があって、人生を変えたくて、心理パターンを変えるためには、新しいことを学んで方向転換するほうが、良い結果を手にすることになるのは間違いありません。シンプルに言えば、本人と相手がしあわせな状態ではなかったら、そこには犠牲や競争や執着や癒着の要素があるわけです。
今回はリクエストにお応えして、「犠牲」と「執着」、そして「愛情との混同」などについて解説していきたいと思います。
当社のブログをお読みになる際や、セミナー・カウンセリングをお受けになるときに参考にしていただければと思います。
また、心理パターンを見ていくきっかけにしていただければ幸いです。
◎リクエストを頂きました◎
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よく心理学で使う用語に「犠牲」や「執着」といったものがありますが、
本当の愛情と混同しやすく、見分けづらいので、詳しく教えてください。
(編集させていただいております)
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リクエストをありがとうございます。
心理学用語の基本について、述べさせていただきますね。
どうぞよろしくお願いします。
犠牲
「犠牲」とは与えるばかりで、受け取らない行為です。
自分以外の何かを無意識に演じている役割です。 役割の下にはトラウマが隠れています。良いことをしているのだけれども、どこか魅力的ではなく、死んだような感じを生み出します。
後で欲求が満たされるなら、今は進んで負けておこうと思うのが犠牲です。勝ったり負けたりを繰り返して、疲労し、やがては燃え尽きてしまいます。
元々は、家族に問題が起きた時に、犠牲をすることを選択してしまい、それが続いています。
才能や生まれてきた目的を生きる喜びを選ぶのではなく、自分を小さくし、ディスカウントし、隠れる行為です。
潜在意識下では自分は不十分な存在であるという考えを持っています。自分を犠牲にして、自分以外の優れた何かになろうとしたり、利用や便乗したりできればいいという考えを持ってしまうことがあるのですが、
その対象者と自分との境界線がわからなくなってゆき、自然と犠牲が強められ、後に憤慨するようになります。
犠牲をしていると、常に注目を集めていなければと思うようになります。隠れた競走もあります。人生の新たな展開、次のステップへ上がることや、誰かとの対等さや親密感を怖れているのです。
犠牲をやり続けてしまうと、さらなる問題を生み、失敗と罪悪感の悪循環になってしまいます。息抜きのために、こっそりと何かに浸り込むことをやるのです。
犠牲は自分にご褒美を受け取らせない行為なので、とても疲れるし、本当はとても怒っているし、何かで埋め合わせないとやっていられなくなるのです。
本当に愛を与えていたら、さらに自分自身が喜びや充実感を受け取れているので、耽溺や中毒には手を出しません。
犠牲とは「物事はこうあるべきだ」という判断の上に成り立つものです。
でもそれは、外の世界や誰かのせいで自分はこうなったという恨みの気持ちが土台となっています。
私たちが成熟し、犠牲の役割と決別するためには、自分自身と、自分の人生と、そして自分の環境に対する責任の姿勢を学ぶ必要があります。
執着
私たちの意識の一部は、想像したことが事実だと感じるように出来ています。過去の人や性質が、今現在にも存在し続けているのだと勘違いしてしまうのです。そこに執着をしています。
現実とずれてしまっているのに、直面しない態度は、意識の中に癇癪(かんしゃく)が起きていて、物事を受け入れることを拒んでいるのです。
セラピーなどで停滞する要因になっている感情を解放するようにすると、手放しが楽でしょう。
愛との混同
ご質問の「愛」と「執着」の混同について。
愛は相手への思いやりですが、執着は自分の欲求を満たすことの方を優先する行為です。
恋愛における執着は、相手に対する思いではなく、実は自分の欲求を満足させたい気持ちになっているのです。執着は魅力的ではありません。だから執着すればするほど、失うものが大きくなってゆくのです。
真の愛は、平和の土台から生まれます。
役割を取り払ったときに自然に現れてくるものは、無垢でシンプルな愛の本質です。
「愛」は分かち合い、差し出すことや受け取ること、天とのつながりを感じながら存在する平和です。
癒しと成長の道は、傷と欲求からの補償行為に気づいて手放し、本物になってゆくことです。
人生にリラックスして、あなたがあなたとして、あるがままでいること。
そこには恨みも間違いも役割も失敗も喪失もありません。
その平和な土台から差し出されるものは、傷よりも「愛」の要素が強くなるでしょう。
最後に
「犠牲」や「執着」は、私たちの誰もが、ふだんから意識せずにやっている行為です。
完全に取り除こうとするよりも、毎日の生活の中での気付きに使ってください。
「ああ自分は犠牲をやっているな、このまま進んだところでいいことは待っていないな」と理解したら、人生を変えるためのきっかけにしましょう。
また、私たちは人生のすべての分野で犠牲をしているわけではなく、いくつかの分野で犠牲をしている、というのが一般的です。
専門家のサポートを受けながら、犠牲色が強い分野を探し出して、ノートに書き出してみるのも一手です。
今回は以上になります。心理学を理解する上で参考になれば幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。
(完)