私は、心理カウンセラーになる前は、株式投資を20年以上仕事にしてきました。
「お金」のプロとして仕事をしてきて、私は「お金」はすごくスピリチュアルなものだと思うようになりました。
「空気」や「水」のように「巡る」ものであり、「売買」によってさまざまな「モノ」や「サービス」や「気持ち」や「時間」に変換されるものです。「お金」は、エネルギーの一つの形で、そういう意味では「愛」にも似ています。
「欲しい」し「好き」だと思わなければ、「お金」は入ってこないけれど、「欲しい、欲しい、欲しい」と執着すれば、逆に「お金」は逃げていきます。
「お金」を手に入れても、大事にしなければすぐになくなるし、かといって大事にしすぎてしまっておくと取り上げられるようなことが起こりますそんな「お金」とどうつき合ったら、「お金」が生み出す豊かさを受け取ることができるのでしょうか?「お金」とのつき合い方を考えます。
お金を「欲しい」と思いますか?
私は、お金を「欲しい」と思うこと自体が「はしたない」のだと思っていました。物質的な「欲」よりも、「精神性」の方が尊くて、だから「いい」人であるためには、物欲を持ってはいけない、自分の物欲は隠さなくてはいけないものだと感じていました。
今は、「欲しい」気持ちを我慢することばかりが徳だと思わなくなりましたが、以前の私は、お金が欲しいという気持ちを抑圧してて、お金が欲しいと思わないように、あえてお金を「汚い」もの、お金持ちを胡散臭い人たちだと見ようとしていました。大変失礼な話です。でも、そう思わなければならないくらい本当は、お金が好きだし、お金が欲しかったし、お金に不自由しない生活がしたかったのです。
私たちは、案外、自分が欲しいものを素直に「欲しい」と言えないものです。そもそも、何が「欲しい」のか、わからなくなっていることがとても多いです。「欲しいと思ってはいけない」と自分の欲求を抑えこもうとした結果、自分の気持ちがよくわからなくなるのです。
「欲求(ニーズ、ウォンツ)」は、私たちが何かを手に入れようと行動するときの最大の動機(ドライバー、モチベーション)です。
自分が「欲しい」と思う気持ちを肯定できないと、なかなか「欲しい」ものを手にいれることはできません。これは、「お金」も「恋人」も同じです。
お金はとっても便利な、「欲求」を満たすツールです。だから、自分の「欲求を満たす」ことになんらかの罪悪感を感じると、その「悪いことをしているような気持ち(罪悪感)」をお金に対して感じやすく、それがお金とのつき合い方に現れます。
具体的には、お金を稼げない、もらえない、遣えない、遣いすぎるなどの問題を作りやすく、本当に「欲しい」ものを手にいれることができません。
お金があれば、いろいろなモノやサービスを手にいれることができます。快適な家やカッコイイ車、センスのいい服装や趣味のモノに入れ込む自由もあります。美味しいレストランや旅行も思いのままなら楽しいでしょう。
それ以前に、月々の食費や家賃の心配から解放されるだけでもどれだけ心が安らぐか。子供の教育にもお金をかけてやりたい。やりたいことをやらせてあげられて、欲しいものを手に入れてあげることができたら、どれほど自分の人生を誇りに思えるか。
このように、私たちがお金で手に入れたいものは、人それぞれではありますが、本当に「欲しい」のは、お金で買えるモノやサービスというよりは、それを手に入れることで味わえる安心感や、自分は役に立っているという自己肯定感、ひたひたとくる喜びやワクワクする高揚感といった、心地よい「感情」です。
お金の問題は、こうした心地よい「感情」を味わうことを妨げるブロック(障壁)になります。心地よい「感情」を味わえないからみじめだし、残念だし、腹立たしいのです。
こんなに安心したいのに、楽しいと感じたいのに、それを自分に許せないのか、つい、ものごとがうまく運びそうになると失敗を招いたりします。それほど、私たちは自分たちが幸せな気分になることに罪悪感があるようです。
お金が生み出す豊かさを受け取るということは、自分が本当に感じたい安心感や喜びやワクワク感を味わうことにOKを出すということです。自分に最高の気分を味わうことを許してあげることだとも言えます。
そのためには、まずは、自分の欲求とまっすぐに向き合い、自分は何が欲しいのかを知り、欲しいものを欲しいと認めましょう。欲しくていいのです。ただ「欲しい」と思うだけで、申し訳ない気持ちになり、仲間はずれになったように感じる人もおられるかもしれません。それでも「欲しくていい」と自分の気持ちを肯定することが、「始めの一歩」になります。