誰もがもっているであろう感情、罪悪感と無価値観。
この感情が強いと、「罰を受けるべき」「価値を得ないと」という状態になります。その為に、罰を受けるのに適した相手、価値を得るのに適した相手としてダメンズを、わざわざ選んでしまうということがあります。ダメンズでなければ、罪を償うことができないですし、価値を得ることができないと感じるからなのです。
また、自分は間違っているのではないかという思いが強いと、間違いではないことを証明したくなります。証明するためには、やはりダメンズのダメな行為を正すということが、必要になり、ダメンズをわざわざ選んでしまうということになる場合もあるのです。
最初から、ダメンズだとわかっているのだけれど、わざわざそんな男性を選んでしまうというパターンがあります。
友達全員から「そんな男性はやめておきなさい」と、大合唱されるという人も多いでしょうね。
「この人とお付き合いすると、きっと苦労する」と、自分でもわかっているのです。
でもある意味、覚悟の上でお付き合いするのです。
そして、苦労に苦労を重ねて、悲しみに悲しみを重ねて、最後はダメンズに捨てられてしまうのですが、また次もダメンズがどうしても気になってしまって、友達の大合唱の中、あえてダメンズを選んでしまう。
俗に言う苦労性というやつです。
どうしてそうなってしまうか?
「苦労するのが私にお似合い」と思っているからです。
どうしてお似合いなのでしょうか?
罪悪感や無価値観と言う感情が強いと、「罰をうけるのが当然、苦労するのが当然」となってしまいます。
罰を受けるために、わざわざ苦労するダメンズを選んでしまうのです。
苦労して、苦しむことで価値を得るために、わざわざダメンズを選んでしまうのです。
ですから変な話しなのですが、ダメっぷりが強ければ強いほど、罪を償えるような気がするし、価値を得られるような気がするので、選ぶダメンズのダメっぷりがどんどん強化されていったりもします。
また、ダメンズをみると「私が何とかしてあげる!私でないと彼を更生させることはできない!」と、使命感に燃えるタイプの方もいます。
これは、ある意味、自分の中にある正しさの証明、力の証明をしたいとも言えます。
「私のやり方が正しい」「私の生き方が正しい」「私の考え方が正しい」だから、間違っている彼を更生させることで、自分の正しさ、力を強固なものにしたいのです。
ですから、男性が幸せに生きていると興味がわかないのです。
男性が世間で認められるような生き方をしていると、「あなたは間違っている」と言えないので、「私がいないと彼はダメなの」と言えるようなダメっぷりを発揮してくれる男性でないと、やる気が出てこないというわけです。
ではどうして、正しさの証明、力の証明をしなくてはいけないのでしょうか?
証明をしなくてはいけないと言うことは、その部分に自信がないからなのです。
「私はもしかしたら間違っているかもしれない」「もしかしたら私は、力がないのかもしれない」そんな不安を抱えていると、正しさを証明し、力を証明する必要が出てきてしまうのです。
そして自信がない分、正しそうな男性、力がありそうな男性では、負けてしまうように感じます。
ですから、自分の正しさが証明しやすい、力が発揮しやすい、わかりやすいダメンズを選んでしまうのです。
ところが、人間誰でも「あなたは間違っている」「あなたは力がない」と否定されるのは嫌なものです。
正しさの証明、力の証明をしようとすればするほど、ダメンズの反撃にあいます。
「俺は、間違ってないぞ!」「俺は、力があるんだぞ!」とダメンズは大暴れすることになってしまうのです。
やればやるほど、ダメンズのダメっぷりが、やはり強化されてしまうのです。