新たな冒険〜〜〜出逢いがもたらす恩恵〜〜〜

冷たい雨が何度か降ると、その度に陽射しが柔らかく、暖かくなる気がし
ます。
そろそろ山は浅い緑に変わり、街路樹にはまだ固いけれどおなじみの淡紅
いろの蕾が色をつけ始めます。


 この季節…春は学校と言う職場の雰囲気ははとても慌ただしいものにな
ります。人事異動の発表を控えて、次年度の事を考えながら、一年の締め
くくりもしなければいけません。そして、新しい「1年」の始まりを迎え
る準備。春季休業中…いわゆる春休みは言うまでもなく別れと出逢いの季
節でもあります。
 初めて職員として校門をくぐったのは、ちょうど20年前です。始めて
の勤務先となった小学校は、神戸に多い海と街を見下ろせる坂道の上にあ
る、緑に囲まれた学校でした。右も左もわからないまま、社会人生活をス
タートさせました。
 以後、桜の季節には新しく着任する職員を迎え、新入生を迎えて一年を
スタートする、と言う生活をしてきました。学校を「職場」とする、と言
うことは、とても多くの人が出入りする場所で働く、と言うことでもあり
ます。たとえば映画館やデパートのように本当に不特定多数でもなく、病
院や銀行のように何らかの理由や目的があっての行き来というだけでもあ
りません。毎日、同じ顔ぶれで百人単位か学校の種類などによれば千人単
位、あるいはそれ以上の人が集まり学び、教えます。そこに集う人の数以
上のドラマが、あるんですよね。
 私が勤務したのは小学校の他、養護学校、中学校、盲学校。5年ずつ4校
でお仕事をさせていただきました。
 大体、学校事務職員の存在を、私は中学生の時代にうっすら知っていた
くらい、かな。高校の時には定期の証明書を出してもらったりしたな。本
当にそのくらいの認識しかなかったんですよね。なので就職したときには
びっくりしました。仕事の内容の多彩さに、そして思った以上の重要さに。
 具体的には言を控えておきますが、全体を見通すことと、日々のルーチ
ンや細かい作業の両方が必要なので、事務的には私はあまり器用になれな
くて、どちらかと言うと、全体を見渡したり何年かの計画を見る仕事が楽
しかったな。そう、どうして20年も続けられたかと言うと、大きな理由の
一つは、「人のいる現場」であった、と言うこと。直接のふれあいがあっ
た場面も多かったのですが、もちろん、そうでない場合も多く、教材備品
を購入するのに先生と一緒にカタログを繰って調べたり見積もり合わせを
したり、銀行に関する手続きなどをするところから1学期が始まるのですが、
事務室からは「見えない生徒」に思いを馳せて、と言うと格好が良いです
けど、今している仕事がどこにどうつながっているかを考えて仕事をする
のが私は好きでした。
 どんな仕事にせよ、今目の前の仕事しか見えない、と言うときにはその
先が閉ざされているような感じがするのではないかと思います。ただ目の
前を流れていく事を追っていく、と言うことが重要な職業や、あるいは家
事にしても少なくないと思うのですが、「その先」を感じられたらもっと
楽しくなるな、と言うことに気づいたのは、養護学校に着任した頃からで
す。
 学校事務の中でもレアな(笑)、「特殊教育諸学校(法律的にはこうい
う言い方になるのですよ…)」に在学する児童生徒に国からの給付をする
事務に長く関わったのですが、ダイレクトに生徒さんや保護者の方に関わ
っていく機会も多くて、他の仕事よりも「学校で仕事をしている」と言う
感覚が強く、私は好きな仕事でした。生徒さんたちの事をわかりたいと思
って、病気についても多少本などを読んだりしてみたり、もちろん直接お
話しすることも。ハンディキャップ、と言うのは社会で生きていく中での
不自由さだと私は思っているのですが、障害、と言うよりも「よりはっき
りした個性」だと言う思いもまた、日々感じていました。
 ノーマライゼーションと言うことが言われて久しいですが、Normalization
と言う英語の意味(直訳)は標準化、とか正常化、と言うこと。今はむし
ろバリアフリーと言う言葉が通っていますが、バリア=社会の中で生きて
いく不自由さ、これを取り除くと言う考え方だと思いますが、よく聞くの
は「バリアフリー型の住宅」と言った使い方ですね。たとえば、段差がな
い=足腰の不自由、車椅子対応…だけでなく、目の不自由な方にもこれは
とっても大切。手すりなどもそうですね。でも、逆に、健常者、晴眼者が
その住宅を造ることが多いですから頭でわかっていても実は大なり小なり
の不自由さが残ったりするわけです。たとえば手すりの位置が移動する際
にぶつかったり、ひっかかったりとか。本当の意味でバリアフリーにはハ
ンディキャップのある側の「目の高さ」…心理的にも物理的にも…を知る
事がとても大切だな、と言うことを肌で知るためのとても大切な年月だっ
たと思います。ハンディキャップの有無、と言った狭い範囲ではなく、あ
らゆる人間関係に関しても同じで、自分の位置からしか見えないこともと
ても大切だけど、視点・目線を違えて見る、物事を捉える、と言うことを
知る事ができた、と言うことは、カウンセリング・セラピーをしていく上
でもすばらしい恵みのように思えます。
 いつもこなしている仕事や顔を合わせている人、何気なくこなしている
ことの多くはあまりにも当たり前すぎて、できていると言う感覚さえもな
いかもしれません。たとえばお料理の得意な人にとって食事の支度はたい
した事のないことですが、慣れていない人にとってはキャベツを刻むこと
が冒険だったり。車に普段乗らない人がほんの数キロを運転することがど
れだけのアドベンチャーか。子供たちが初めてお使いに行ったり一人で電
車に乗る…。できているところから見ているのと、慣れないことにチャレ
ンジするときとでは同じことであってもどきどき感も、緊張感もまったく
違いますね。
 中堅、ベテラン、と言われる年代になると、わからない、知らないと言
うことももしかしたらとてもすごい冒険かもしれません。
ハンディキャップのある元同僚は、とても助けてもらうのが上手で「すみ
ません、どなたか助けてくれませんか?」って大きな声でお願いするので
す。私は、ちょっと照れくさかったりする、と思うのだけど、必ず誰かが
手助けしてくれているようです。私などは、お願いする方も手助けをする
方も、すごいなぁ、と以前は思っていたな。もちろん、今はこちらから声
をかけることも増えましたが。それでも気恥ずかしかったり、却って迷惑
かな、なんて思うことも。でもね、助けてほしい、と言える人だけではあ
りません。やっぱり気づいたときには声をかけたいな。これは、私にとっ
てすこし冒険ですね。
 私は、20年の学校での仕事を、三月いっぱいで終えました。正直なとこ
ろ、苦しかったこと、情けなかったことも少なくないのですが、それ以上
にたくさんの生き様に触れ、人と人が信頼し合う姿にも出逢うことができ
ました。たくさんの夢が生まれ、育て行くところが学校なのだ、とも思い
ます。その半面で、学校に行くだけが正しいともまた思ってもいないので
すね。いえ、これは教育や学校を否定しているのでは決してなく、仲間同
士のつながりや、大切な友達を得る場であったり、知識や学力を養う場で
もあり、またそれ以上の「何か」が常に生まれている場でもあると思うの
ですが、さまざまな個性を育てていく場であるとすれば、規格に合わない
人も出てくる、と言うことも感じてきたからです。その合わなさ加減がほ
んのちょっとだったりすると、無理してしまうし、親としてももう少しが
んばれるのでは、って思ってしまいますものね(うちの息子などはそうか
もしれないな)。でも、「今・ここ」が大切であればこそ、学校にこだわ
るからこその選択の一つとして「学校に行かない」と言うこともあるのか
も知れない、と言うことも思っています。そしてさらに、行きたい人が本
当に安心して通える。そんな学校が増えてほしいな、と思っています。
 20年のどの日々も、どの学校での出来事も同じくらい大切なのですが、
障害を持つ子供たちが歩く歩数を増やしたり、話す言葉や歌を増やしたり、
中学生・高校生になると作品やお菓子を作ったり…そんな場面に何度も出
逢えた最後の5年間もまた、これからの私にとって最も忘れがたい日々に数
えられると思います。たくさんの温かさに包まれた日々だった、と思いま
す。
 4月、新入学、異動、転職、さまざまな別れとそして出逢いの季節です。
いつまでも同じところにとどまる事ができなくても、「心に刻む」ような
そんな日々をこれからも築いていくことも、それぞれのチャレンジですね。
過ごした日々に心から感謝をすることができたら、ここから先にどんな艱
難があってもがんばっていける気がします。自分を応援する声がいつも後
ろから聞こえるような、そんな気がするからです。まあ、今だからこんな
風に思えるのですけどね(笑)。
 
 私の仕事の一つは、本当に陳腐な表現ですが「苦あれば楽あり」を、今
がんばっている人に、もうがんばれない人に、届けることかもしれないな。
私にもそんな時期があったよ、と言う想いを添えながら。
中村 ともみ のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。