先日、母親と喧嘩をしてしまいました。
内容は、よくある親子げんかで、たいしたことではありませんが。
一緒に何かしようということになると、すべて私任せにしてしまう母。
それはいいのですが、こっちが母が楽しめるようにと思って計画したことを、ないがしろにされてしまい、ついついキレてしまいました。
結局、ブチ切れながら、自分がどういう気持ちで、どんなことをしたかったのかを話す(以前にもちゃんと話したが聞いていなかった)と、ようやく分かってくれたのでした。
「そうだったのね〜」
などと、のんきに構える母。
結局、そんな私の気持ちを汲んだのか、母がいろいろと立ち回り、素敵なプランにはなったのでした。
しかし、私はその夜、最悪な気分でベッドに入りました。
結果は、よかったのです。
母だって、本当は私の気持ちは分かっているはずなんです。
でも、喧嘩してしまった自分に、自己嫌悪です。(-_-;
私はこんな風にして自分の気持ちを母に伝えたかったのではありませんでした。
さらに、ひどく子供っぽい手法で、自分がやりたかったことを手にいれたようにも思えました。
それでも、
「ちなちゃん、ゴメンね〜。えへへ」
などと、素直に謝ることのできる母。
私はといえば、
「言い過ぎてごめんね。楽しみにしているから」
というのが精一杯でした。
本当は、気を取り直して、素直に振舞えばいいことなんです。
分かっているんです。
しかし、それができないのです。(^_^;
屈辱的な恥ずかしさなんです。(* ̄_ ̄*)
それと同時に、素直になれない自分に対しても、恥ずかしさのようなものがこみあげてきます。
そして、そんな「素直な娘」「かわいい娘」は私の辞書にはないのだ、ともがきたくなります。
そうしながら、自分のしていることが見えてきます。
私の中で、素直になれない分、「役に立っている自分」で補おうと必死だったんですね。
ただ、自分を愛させる代わりに、何か補償をせずにはいられなかったのです。
だから、つい、「こんな思いでやったのに」という気持ちにこだわってしまうのです。
でも、本当にしたいことは、素直な自分で母に接して、一緒に楽しい時間を楽しむことのはずなんですよね……。
(* ̄. ̄*)
私も、いろんなことをして、親に迷惑をかけたこともありました。
それでも変わらず私を思い続けてくれている両親の気持ちに深く感じ入ることもあり、もっと素直な自分を両親に贈ることができたら、と、いつも思っています。
実際には、仲が悪いわけではないし、よく話もするし、その分、喧嘩もします。
が、態度はまるで思春期の男子学生のようによそよそしいような……。
これは照れなんですけれど。
そんなとき、ふと、思い出すことがありました。
数年前に、実家でとても酔っ払ったことがあったのです。
母は、ずっと優等生で、真面目なひとなんです。
お酒もタバコもいやがる母。
ところが、私ときたら、父に似たのかお酒が好きで、よくのみます(笑)。
私は内心、母にこんな姿を見せてヤバイ〜(^_^; 、と思ったのですが、母は後日、
「ちなちゃん、酔うとかわいいのね〜。うふふふ。あんなかわいいちなちゃんをはじめて見たわあ」
と嬉しそうに言っているのを聞いて、おどろいたことがありました。
両親に素直な態度で、と思いながら、なかなかそれができずにいるのは、もちろん、恥ずかしいからです。
それができず、両親に寂しい思いをさせてきたであろうということは、自分でも感じてはいました。
その「寂しさ」というものは、どこか薄ら寒い、すさんだようなイメージがありました。
しかし、本当はそんな寒いものではなく、愛するものをかわいいものとして愛せない、そんな寂しさなのかもしれない、とそのときの母のうれしそうな声を聞いて思いました。
私は、母が、母親として娘をかわいがるという楽しみを奪っていたのかもしれません。
そんなことを思い出しながら、素直になれない自分に自己嫌悪になってしまう代わりに。
母が、今回のことを通じて、私と楽しみたいと思ってくれていたこと、その母の思いに、感謝をして、その晩は眠りにつきました。
私の母は、年を追うごとに、どんどん可愛らしさが出てくるようです。
「ちなちゃ〜ん♪」なんて、甘えていう母など、以前は見たことがありませんでした。
年をとって、丸みを帯びてきたのでしょうか。
そのことは、私を優しく、甘やかな気持ちにさせてくれます。
が、それと同時になぜかたまらなくせつなくなることがあります。
年とともに、母が少女のようになっていく。
それは、とりも直さず、私が大人になったということなのでしょう。
少女の頃、毎日、私にピンクのリボンを結んでくれた母。
その優しい面影は、今、母の少女の面影に重なります。
その優しい少女のような気持ちで、母と繋がることができたなら。
そんな風に願うのです。
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