‘30代のキモチ’

先日、ネットニュースである記事を見つけました。
「30代に忍び寄る心の病 熱い40代、冷めた20代の間で」。
うつ発症にかかわるニュースで、会社勤務の方たちの世代間の問題を分析した
結果を書いたものでした。
今の30代の特徴として、バブル崩壊による不景気で、その後の就職氷河期、
親のリストラなども経験した世代であり社会へ船出した当初から
「こんなはずではなかった・・・」との感が強い。
一方、後輩や部下である20代は
「はなからひとつの会社に価値観を求めていない。」
上司に当たる40代はいわゆる成果主義導入後、うえの世代のリストラを見て
きた『勝ち組』が多く、ばりばりと仕事をこなしバブル期のような効果を期待
する傾向が強い。


初婚年齢が年々高くなっている昨今、人生の岐路に立つ年齢でもあり、もとも
と上としたのはざまでストレスが溜まりやすい。
との解説がありました。
確かに・・・。
30代にかかるころの同世代の同僚たちとの愚痴の例。
上司に対しては
「いまさらヒト、モノ、カネ投入してなんとかしろって言われてもない袖はど
うやって振れっていうんだろ、バブルじゃあるまいし。」
後輩、後続に対しては
「だめだぁ、当たり前に会社のためにっていうのが全く通用しない・・・、す
ぐ辞めてもいいんですよっていいよる。ちょっと夢見がちちゃうか・・・。」
多分‘教育’の方向性も時代とともに変遷してきたのでしょう、でも現実は目
の前にあって、しょうがない、いやしょうがないで済まないからなんとかしな
くちゃ、と葛藤し格闘した日々を思い出します。
「仕事」でこころや体を壊しては元も子もない、そう、つぶやきつつも実際に
は自分のキャパを超える仕事が目の前にあったとき、それでも体力を超え、能
力を超え、大切な人への愛や時間までも仕事に費やすことがどれほど多いこと
でしょうか。
会社人であった頃、一番怖かったことは「無能な人間だ」と思われるのではな
いか、という恐れであったように思います。
決して出世を望んでいた訳でも、高給を目指していたわけでもない私であって
も無意識的に「責められること」を恐がっていたように思います。
実際には、この恐れを行動の動機、軸として活動を続けていくことはキモチの
側面でも体力的な側面でも、充実したという感覚をもたらすことなく消耗を意
味することが多いと感じています。
目の前に多くのこなすべきことあったり、自分にとってあまり混乱したり、大
きすぎると感じるような問題があったりする場合に「それでもやるしかない
じゃない・・・」。
そんな場面も実際には多く、真実「やり抜くこと」に大きな意味があったり、
「やり抜けること」が出来たりすることもあるかと思います。
ですが、それも不可能であったとき
「出来ません、」
「やれません、」
こう、表現する勇気が必要なこともあるかもしれません。
でも、表現できないままに苦しい毎日を過ごすことも多いとは思います。
私たちがカウンセリングを通じて、こういった状況の中で何を感じているのか
を紐解くときやはり「こうあるべき」姿から外れてしまう恐れ・・・が表出し
てくることはしばしば見られます。
そして、なぜに「こうあるべき」と感じてしまうかまで紐解いていったときに
始めて
「こうあらねば誰かからの信頼を失ってしまうのではないか」
「こうあらねば自分自身に価値がないのでないか」
「誰か、何かに申し訳ないような気持ち」
「弱い自分は否定された」
「誰にも頼れない孤独」
などのこころの傷みがやっと出てきます。
悩んだり、苦しんだときに本当に必要なことは
更に強がり、ひとりで、完璧に、生きることを自分や他人に強いるのでなく
喪失には豊かさを
自信のなさには認める愛を
否定には肯定を
孤独には繋がりと理解を
本人には援助を受け取る事が
周囲には理解という愛が求められているのかもしれません。
世代ごとの価値観にも、仕事そのものに人の人生を潰すほどの力はないはず。
仕事には、自己表現であったり 自分自身のむかう道を示す道標であったり、
社会的に大切な役割を担うことで他者への献身を表現するものであったり、
といったことも充分に存在すると感じています。
だからこそ、
命を大切にして、こころを大切にして、愛する人を大切にして、
生きていける環境も人も増えていけばいいなと切実に感じています。
 ー ー ー ー
家族をおいて天国に旅立った同世代の同僚たちに捧ぐ
2006年10月11日
うえにしなおみ
上西直美のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。