自分以外の誰かに『問題』を感じた時に・・・

朝晩、めっきり冷え込みが厳しくなってきましたね。
ちょっと油断すると、「くしゅんっ!」とまだ寒さになれない身体が反応します。
皆さん、お風邪は召されていないでしょうか?
最近、増えてきたなぁと感じるご相談が、
「自分の娘に関することなんですが・・・」
「成人している息子のことなんですが・・・」
ご本人以外の問題で、家人であったりパートナーだったりがご相談に来られることも稀ではなくなってきたように思います。


そういったご相談をお聞きするたびに、
母の子育ての時代にも、誰かに相談することが出来ていたらなぁ、
せめてカウンセリングがもう少し一般的で抵抗がなかったらなぁ、
と感じることしきりです。
姉妹ふたりで育ちましたが、ふたつ上のお姉さんは思春期を過ぎる頃から精神疾患を患っています。
どのようなのっぴきならない状況があっても、自分のこどもから笑顔がどんどんなくなってしまったり、理解の出来ない苦しさを持ってしまったときに親というのは自分を責めるものだなぁとしみじみ思います。
何が悪かったんだろう、
何が間違っていたんだろう、と。
自分の家族を振り返ってみても、コミュニケーションが取りにくくなる姉に対して、初めは感情的になっていた母でしたが、よくよく話を聞いてみると口をついて出てくるのは‘何が間違っていたんだろうか・・・’という言葉が本当に多かったように思います。
えてして、多くの方が本当に心優しくて心を砕いているにも関わらず・・・。
ご相談をお受けしていても、母を見ていても本当に‘良い人’なんですよね。
ただ、いくつかよく見られることがあるとすれば、本当によい人ゆえにご自身の問題を全く横に置き、こどもさんであったりパートナーであったりに人生を譲ってしまわれていることも気付くことのひとつです。
例えば、ご相談されるご本人の方に、ご自身のことをお伺いしたとき、それが例えばパートナーシップ、旦那様とのご関係をお伺いした場合などその関係性にはかなり絶望されている場合なども少なからずあります。
‘よくやってくれているとは思いますが、あのひとには全く期待していませんのでね・・・’
とおっしゃられることも、よく聞かれます。
こういった言葉に、ご本人は‘絶望していてる’とも気付いていらっしゃらない事が多く長年の積み重ねにこんなものだから仕方がない、だからひとりで頑張らなくては・・・といった悲しさをお感じになっていることも気付かれない事も多いようですし、ご自分のこのお気持ちに向き合ってしまったほうがきつくなってしまわれることも多いようです。
気付きにくいことのひとつには『問題をもっている』と見える人からも、相談されるご本人の方が『見られている』という事があるのかもしれません。
誰かの問題の渦中に入ってしまうと、誰もが見落としてしまうことのひとつだと思いますが・・・。
そして、多くの場合、『問題をもっている』人から、相談に来られるご本人をみても幸せになって欲しいという願いがあったり、助けてあげたいのにあげられないという苦しさがあったりすることが多いです。
自分自身の家族を振り返ってみたときに、家族全員に(私も含めてです、もちろん^^;)共通するパターンとしては‘受け取れない’という問題があったように思います。
単純なことでいえばほめられても信じない、信頼しない、運のよいことであったり、なにかいいことには目をむけにくかったり、、、。
自分以外の人がそうであれば、‘受け取ればいいじゃない’と簡単に思いますが、本人にすればなかなかそうはいきません。家族みんなが受け取れない状態になっていれば、それこそ自分だけが幸せを感じたり、楽しそうだったりしてはいけないのかな、と全員が逆に全員を縛ることにもなりかねません。
いつも、‘私のことではないのですが・・・’というご相談から思うことは、どちらにせよ家族の中でひとりでも自分自身にも目をむけられて、‘受け取っていく’‘幸せになる’という方向性に勇気はいるけれどもチャレンジをしていく・・・というきっかけにしていただけたらいいのになと思います。
その中にいるときは、本当に難しいとかんじていしまうけれど、ひとりでなんとかしようとされずに積極的に外に答えや助けを求めてくださったら嬉しいなと心から思います。
助けを求めたり答えを求めたりするのが、カウンセリングであっても、何でもかまわないとも思うのですが・・・。
いくつになられても、希望は必ずあって、人と繋がっていくことは楽しいことだと思います。なにかご自分住んでいらっしゃるの世界に‘問題’を感じるようなことがあれば、変化するきっかけとしてご利用くださればな、といつも思っています。
ひとりひとりの皆さんの幸せを願って・・・・。
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