死生観について

先日、コンビニである本と出会いました。
その本は居酒屋の「和民」の社長渡邊美樹さんの「思いをカタチに変え
よ!」(PHP研究所:定価1000円)という本で、今から6年くらい前に書
かれたものだそうです。
その本の冒頭に、このような問い掛けが書いてありました。
「後1年で死ぬと決まったらどう生きるか」
さて、皆さんなら余命あと1年と言われたら、どうしますか?


自分がやりたかったことを全部やろうとするでしょうか?
自分がいきたかったところにいこうと思うでしょうか?
それとも、やけをおこして荒れた生活をするでしょうか?
どれを選ぶのも、それは自分ですから自由ですよね。
渡邊さんは、本の中でこう書いています。
「人は必ず死ぬ。であれば、死が一年後に来てもいいように「死生観」を
しっかりもち、生きるべきではないか」
この「死生観」ですが、言葉で聴くと難しく感じるかもしれませんが、私
はいつもこう考えています。
自分が死ぬ3分前に、自分の人生を振り返ってどんな感想を言うだろう?
実はこの話は結婚する前から妻とよく話をしていました。
そして、二人で「死ぬ3分前に「ああ、楽しかった」といって死ねたら最高
だろうねぇ。」とよくいっていました。
このことについて、渡邊さんは「何をしたかを記憶されることが大切」と
いっています。
これは私も同意見で、自分自身が納得した人生が送れたとき、心から「楽
しかった」という気持ちが湧いてくる、と私は考えています。
では逆に、自分が納得した人生が送れなかったとき、どう感じるでしょ
う?
もちろん私は死んだことはありませんから、そこは想像するしかないので
すが、想像したときに「死ぬ3分前に後悔してしまう人生」だけは嫌だ
なぁ、と感じます。
渡邊さんの話を別の形で要約すると、中学時代や高校時代の友人や家族の
顔を思い出したとき、まず最初にどんな顔を思い出すでしょう。
笑っている顔ですか?
怒っている顔ですか?
無表情ですか?
それとも、ぼやけて出てきませんか?
もし、あなたの友人達が、昔のあなたを思い出したとき、どんな顔の自分
を思い出して欲しいでしょうか?
私は笑顔であって欲しいと思いますね。
以前ブログで紹介させていただいた本「余命一ヶ月の花嫁」の中で、残さ
れた友人や恋人が、故人の話をしているときに、「彼女のことを思い出し
たとき、彼女の笑顔しか浮かんでこないんですよね。」と話していまし
た。
私はこの話を聞いて、これこそが渡邊さんが「何をしたかを記憶されるこ
とが大切」といっている本当の意味ではないか、と感じます。
死ぬことへの恐怖より、今を生きることの大切さを、人生の半分を生きた
今こそ見つめてみてもいいのではないか、と私は考えています。
さて、ここで皆さんに質問です。
皆さんはまだ、生きていますよね。
もちろん、私を含めて、いつ死ぬかはわかりませんが、皆さんいつか必ず
死を迎えるわけです。
この「死ぬまでに残された時間」をどのように使いますか?
ちなみに私は、この質問に対して、次のような答えを出しました。
もし私の残された時間が後40年あったとして、今と同じペースでカウンセ
リングを続けたとしたら、のべ4万人の人とお話しをすることになりま
す。
この4万人を多いと取るか、少ないと取るかは自由ですが、私はこの数字
を見て「たった4万人か。」と思いました。
パチンコで4万発なんて、あっという間ですよ。
そう考えたら、本当に一つ一つの出会いが、すごく大切なものに感じられ
ました。
そして最後に、これは妻と昔話したことなのですが、どちらが先に死ぬと
しても、最後にかける言葉が「じゃあ、またね。」で同じだったのは笑え
ました。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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