最近、さだまさしさんの「奇跡」~大きな愛のように~を聴く機会があり
ました。
人生の節目で、ひとつの曲が大きな生命力をもって広がり、心の大切な
場所で育っていくという経験はないでしょうか。
この曲も、そのうちのひとつでした。
さだまさしさんの「奇跡」~大きな愛のように~は私が離婚をする前の一番
つらかった時期に、よく聴いていた曲です。
当時、ひどくショックな出来事がありました。
それは私にとって、大げさでもなんでもなく、まるで世界がゆがんでしまう
かのように感じられるような衝撃だったのです。
昼間は仕事をしていましたが、気がゆるむとすぐに涙が出てきてしまいます。
目が覚めているときには頭がぼんやりしているのに、夜寝るときには、
不安や恐怖から、寝ることができませんでした。
睡眠剤を服用してようやく眠ることができましたが、明け方は、必ず悪夢で
目が覚めていました。
それまでの私はクールで冷静、激しい感情を感じることは少なく、こんなに
衝撃的に何かを感じるということはありませんでした。
このひどく恐ろしい感覚の中で、なぜか私は「生まれ変わり」を意識し、
生まれて初めて、母に、産んでくれてありがとうと伝えたことを覚えて
います。
なぜ、そんなことを感じ、そんなことをいったのか、今でも不思議なの
ですが、本当にそう感じたのです。
衝撃的なことであったがゆえに、そのことから目をそらすことができず、
事実として受け入れ、何かを感じ、体感していることから、「生きている」
ことを実感したのかもしれません。
焦点の定まらないような、悲しみと狂気のはざまで感じたこと……そんな
状況だったからかもしれません。
「愛であふれて、愛を与えられるひとになりたい」
そんなふうに感じたのでした。
その思いと、この曲が心の中で調和し、たおやかに琴線にふれたのでした。
その後、少しずつ、傷が癒され始めると、私は何かに突き動かされるように、
カウンセラーとしてボランティアデビューし、ほどなくしてプロデビュー
したのでした。
あれから歳月が流れ。
今、この曲を聴くと、切なく、優しい気持ちになります。
まるで、淡~い初恋でも思い出すように。
あのとき、本当につらかったです。
思えば、誰も、悪くはありませんでした。
そのことが、本当に切なく感じます。
誰もがベストを尽くしていました。
お互いのことを思って、そのときの自分にできる限りのことをしていたの
です。
カウンセラーとして、誰かの友人として、そして人として、自分が誰かを
応援したり、しあわせを願うたびに、別れた夫がそばにいるように感じる
こともあります。
例えるなら、田舎のおじいちゃん、亡くなったおじいちゃんがそばにいて
くれるような、そんな感じですか。
この曲を聴くと、私に生まれ変わりを与えてくれた彼に対する気持ちや、
そのときに、「♪大きな愛になりたい」と思っていた自分の気持ちが重なって、
なんとも暖かく、優しい気持ちになるのです。
しあわせも、愛も、尽きるものではなく、限りなく広がりゆくものだとは、
彼が教えてくれたような気がします。
私の中で、彼に会うことは、もうありません。
今回みたいに、きっかけがあるとふと思い出し、あのとき「愛のひとに
なりたい」と思ったことを再確認すると同時に、たくさんのものを与えて
くれた彼のしあわせを改めて願います。
そう、彼のしあわせの中に、私のしあわせも含まれている、そんなことを
思いながら。
今ある出会いや私を取り巻くひとたちの中で、私もまた、しあわせを感じて
います。
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