むかし、幼かった頃は、親によく反抗しましたし、親に対する不満もたくさん
持っていました。
「あれをしてくれない!」「これをしてくれない!」まだ、それぐらいならいい
のですが、「○○ちゃんの、お母さんのように綺麗じゃない!」とどんなに頑張
っても、無理なことでまで、怒っていたような記憶があります。
少し大人になってくると、親ができなかった理由もわかりますし、親なりに頑
張ってくれていたのだろうなどと、理解できるようになるのですが、自分の為
に色々やってくれていた事に対して、あらたまってお礼を言うとか、感謝の気
持ちを表すなどということは、恥ずかしくてやっていませんでした。
年に一回、母の日や父の日に、何かプレゼントを渡すぐらいしか、やっていな
かったな~
何かもっと、感謝の気持ちを伝えた方がよかったのかな~などと、考えるも、
今更と恥ずかしい気持ちもあり、特別何かお礼を言っていないことを、少々後
ろめたく思ったりもしておりましたが、この前の母の日のできごとで、少し考
え方が変化しました。
母の日に、私が帰宅すると、台所の机の上に、封筒が置いてありました。
娘からの手紙だったのですが、『普通より、おかんには迷惑かえたと思う』『結
構悪いこともしたし、学校にも呼び出し何回もされたし・・・』『でもな、最近
は、おかんの気持ちも少しはわかるようになった』『これからも、迷惑かけると
思うけど、おかんの娘としてよろしく!』というような内容が書かれていまし
た。
わたくし、いちころです・・・・感動してしまいました。
母の日の手紙ひとつで、長年の苦労がすべて報われました。
早産のうえ、難産で出産の時に、苦しみまくったことも、目に怪我をして帰宅
した娘のキズが後に残るのでは?と心配でたまらなかったことも、学校に呼び
出しされ、先生に謝りまくったことも、プチ家出した娘を、血眼になって探し
まくったことも、小憎らしいことを言われ、大喧嘩したことも、すべて報われ
てしまったのです。
そして、お風呂から出てくると、今度は机の上にカーネーションをシールで貼
り付けた板チョコが置いてありました。
アルバイトから帰宅した息子が、置いてくれていたのですが、たった板チョコ
一枚で、またしてもいちころです。
『ありがとう』と言うと、息子は照れくさそうに『そう言えば、何も渡してな
いな~と思ってね』と言って、2階に上がっていきました。
親って、板チョコと手紙で、長年の苦労もすべて忘れてしまう生き物のようで
す。
あらたまった言葉も、値段の高いプレゼントも必要ないのです。
一年にたった一回、ぶっきらぼうな形でも、本の少し行動を起こすだけで、親
は報われてしまうのです。
何も親にはしてあげていないな~と、自分を振り返って思っていたのですが、
どうやら私が生きているたったそれだけで、よかったのだとこの年齢になり、
自分も親になってはじめて実感しました。
『親って、結構ちょろいものだったのかもしれないな』『あんなに反抗して、大
ケンカしなくても、ありがとうを伝えるだけで、円満になれたかも?』などと
昔を思いだしておりました。
みなさんも、照れくさいかもしれませんが、ぜひ『ありがとう』を伝えてみて
くださいね。
別に母の日や父の日でなくてもいいのです。
たった一言、伝えるだけでお互いの気持ちが温かくなるものですよ。
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