Re・・・(再生)

人というのは夢をみる。
その夢が人を現在へ連れてきた。
夢とは、いま‘ないもの’を感じる力。
夢とは、時間を超越するもの。
私は、そんな風に感じている。
昨年の秋から冬にかけてでしょうか、‘再生医療に新しい発見’と日本のみな
らず世界中に「iPS細胞の実現化」というニュースが駆け巡ったのを覚えて
いらっしゃいますでしょうか?
当時 先端医療を扱う医療機関でも、職を持っていた事もあり、私自身の中で
もとても興味深い出来事でした。
(発見された京都大学の教授がなかなか男前・・・だったのもあるのでしょう
か?)


日本でよく見る光景の1つ。
病気の話題がでたときに、思いやりとして聞いた方が‘ごめんなさい’と応える場面があります。
医療が発達した現代の感覚でいえば、多数派的な「日常」は健康であることで
あり、少数派の「非日常」は病気であったり不健康であることなのだろうな、
と思うことがあります。
両者の間には、時に壁が設けられていて、健康な間にはむこうの世界は見なく
てもすむようなシステム(それが本当の意味で健全なのかどうか、私はすこし
懐疑的に感じていますが)がいまの日本にはあるように感じることもあります。
健康であること。
それが精神であれ、身体であれ。
自分自身および自身の家族に関していえば頑強である事には疑いはあまりない
のですが、健全であるかという自信はあまりありません。
生まれ育った環境にない何かを捜す旅、今までの人生を振り返った時に生き方
のひとつはそんな旅に表されるのかなと思います。見直してみて自分自身の根
幹には、「健康・健全」とはという命題はつき物だったように思います。
後で聞き、因縁なのかしら・・・と思ったことがあります。
わが父の母、つまり祖母なのですが、彼女は父が7つの時、彼女自身が20代
の後半に肺の病(結核だったのでしょう)で亡くなられたそうです。
伝え聞いたお話では、当時高価であった抗生物質を買うはずであったお金を、
(辛くていらっしゃったのでしょうね、祖父はまだ当時20代の筈ですから、
)祖父はお薬に使わずにお酒と祈祷に使ったと聞いています。
メンタリティと科学の産物たる、お薬と言う存在がいつのまにか私の人生の2
本柱にいつの間にかなっているのは、こんな血が関係しているのでしょうか。
私が聞いた限りでも、確かに医薬品は目覚しく進化しているようです。
例えば、胃潰瘍。よくTVコマーシャルで見かける胃薬で薬剤師さんにご相談
ください、とわざわざ付け加えるちょっと骨太感のあるコマーシャルの胃薬
(西村雅彦さんの深刻な顔が、なんだか胃が痛そうです・・・)。
いまは町の薬局で手軽に手に入りますが、発売当時はとっても画期的な医薬品
だったそうです。
胃潰瘍と言えば、胃酸を強力に押さえるこの手のお薬が開発され市販される以
前には発見されれば即手術の病気の一つ。
ずいぶんと、治療も手軽になっているようです。
わたしたちが、もしも生まれる前の世界にいくことがあれば、「現代」であれ
ばこのようなことで命を落とさないのに・・・ということもたくさんあると思
います。
私たちの‘想像の世界’であり、パラレルワールドなのか人類が見ている未来
なのか。
映画やテレビ番組といった世界でも、
新薬を巡っての内密の組織が・・・、であるとか、
主人公がふとしたことからしって追われて・・・、
とか。そんなストーリーにワクワクすることも多いのではないでしょうか?
仲間であるカウンセラー中村ともみ、彼女は幼少の頃左足を負傷しています。
ふと、呟く時があります。
「小さい頃ね、人間もトカゲみたいに足が生えてきたらいいのになって考えて
いた事があったの。」
右足と背中に、広範囲の火傷・・・やっぱり同じ年頃に抱えた傷ですけど・・
・をもつ私としては至って理解しやすい想像です。
「オクスリ」のさておき、「オクスリ」以上の医療って?
という疑問も常に感じます。
体はいつまでも、自分自身のモノで成長こそすれ、魂がこの世を離れ自由にな
るまで使い続ける同じものである。
そんな風に意識していたけれど、1つ1つの細胞に思い至れば実のところ、と
ても早い時計をもって生まれ変わって今日のワタシと明日のワタシは同じモノ
では実はない。
冒頭の、「再生医療」の話題に戻りますが、いつの日か、失くした臓器や体の
一部が再生されること、そんな夢をみたヒトたちがそこに近づこうとしている
ようです。
例えば、皮膚であったり歯であったり、眼球の一部であったり。
たった、ひとつの細胞から今は生まれ育ち、定着するような方法が既に実用さ
れ始めているようです。損傷した血管も、同じように。
臓器コーディネーター、と呼ばれる人たちが居ます。
生と死の境界線上で、極限の局面でそれでも出来るだけ人が痛まないように、
配慮する仕事。彼らが言った言葉がひとつ。
「自分達を死神のように感じることもある、でも仕事の重要性に魅かれてこの
仕事を選んでも居る。でも今の状態がベストだとは思ってもいない、願うのは
いつかはこういう仕事が必要のなくなる日が来ること。」
なぜ「再生医療に新しい展開」、なのか。
臓器だったり血管だったり、作り出すためには何か元になる細胞が必要らしい
のですが。
この「もとになる細胞」、受精卵から取り出すそうなんです。
想像をして見ました。もしかしたらひとつの「命」となるかもしれない、
「受精卵」。
ここから研究のためとはいえ、材料を取り出してください、と言われたら。
貴方ならやりたいか、と言われたら、その場に居ないとわかりませんが、私で
あればごめんなさい、出来ません、と感じることでしょう。
倫理的な問題、といわれる領域に答えが出なかったことが技術が進むことで、
解決できる糸口が見つかった、ということのようです。
実際に、倫理的に問題のない領域で人にたいする応用まで進んでいた、再生医
療。
細胞が分化し、人となり命となり活動をする・・・その年月までにほぼ等しく
とつきとうかという時間を要し。
もちろんのこと、それこそ私が生きている間にどれほどのことができうるよう
になるのでしょうか、それは分かりません。
ですが、確実にこの世に存在する物質としては、昔見た夢が叶い始めているの
かもしれません。
‘あなたが二十歳になる以前に、もしもあなたの火傷の痕が成長しなければ
移植を考えないと体に問題が起きます’と言われていた幼少の頃。
実際には幸運にも、火傷の痕はワタシと共に成長してくれて、事なきを得まし
た。
ただ、もしも、そうでない事態がおきていたら、実際には「身体」という物理
的なものに起きた出来事が 私自身や近しい人たちに心や考え、そのために人
生にも、多分影響を与えていた事を思うのです。
そして 私の火傷は運よく私と共に成長してくれました。
体質的なことだけなのだろうか、何がしか、自分自身の心理面やら状況が身体
に影響した事はなかったのでしょうか?
そして、いまは心を扱うこと、目に見えないこころに触れることに片方の軸足
をのせ、生きていこうと決めた私は更に思うのです。
物質としてのからだと、意識としてのからだを‘繋ぐ’ことは出来るのだろう
か・・・と。
目に見える‘もの’という縦の糸と、目に見えない‘なにか’、という横の糸。
これから、わたし達が責任ある時代となるときに、どちらもが尊重される時代である事を祈ってやまないと感じています。
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