心の大人力

『大人』とは、何ぞや??と、成人式の2回目がとっくに過ぎた今頃になって、
考えはじめました。
●一人前の年齢に達した人。
●一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。
だそうです。辞書に書いてありました。
こうなると、『一人前』とは、何ぞや??と思うもので、またまた辞書で調べて
みました。
●成人であること、また、成人の資格、能力があること。
●技芸・学問が、一応の水準に達していること。
だそうで・・・
『成人の能力て何??』『一応の水準って、どれぐらい??』と、更に疑問が湧
いてきて、終わりそうになりので、ここでやめました。
私達は、当たり前ですが、全員昔は子供です。


ですが、いつの間にかすっかり『大人族』に分類されるようになりました。
子供でいたいと言おうが、年齢に逆らうことはできず、いつしか成人式を向か
え、選挙権を与えられ、気がついたら、成人式何回目??の年齢に達している。
思慮分別があるか?と言われると、あるような、ないような・・・
社会的な責任は、負えている気はするが、成人の能力があるのか??
技芸、学問は一応の水準に果たして達しているのか??
40歳も過ぎて、こんな状態で大丈夫なのか少々不安ではありますが、世間的に
『大人族』に分類されていることは明らかで、更に言えば今更『子供族』に属
することは、不可能なのです。
となると、『大人』としての心を手に入れているかどうかが、大切なのではと思
うのです。
心の面で大人とはなんぞや?と、考えた時に、私は自分の人生に責任を取って
いるかどうかだと思いました。
今の状況が不幸であれ、幸せであれ、それは自分の責任であると捉えることが
できるかどうか。
幸せならば、より幸せになるよう努力したり、周りの人も幸せになるように力
を発揮する。不幸ならば、なぜ不幸なのか、どうすれば幸せになることができ
るのかを、人のせいではなく、自分の責任として捉えていくことは、とても大
切だと思います。
不幸なのは、もしかしたら、誰かがとんでもないことを、あなたに仕掛けてき
たからかもしれませんし、どうしようもない、防ぎようもないような事態が発
生して、不可抗力で不幸な状態になってしまったのかもしれない。
でも、それでも、心の大人としては、『どうすれば、幸せに向かえるか?』を、
考え行動することが、必要なのだと感じます。
不幸な状況にあって、何もできない子供のようになってしまうこともあるかも
しれませんが、時期が来たら、そして力が蓄えられたら、自分から動いて自分
の手で幸せをつかむことを選択するのも、また心の大人だと思います。
そして何よりも、助けが必要な時は、助けを求めることができる強さが大切で
すね。
子供の頃は、何か嫌なことや、つらいことがあっても、自分ではどうすること
もできませんでした。とても無力だったのです。
だから、たくさん傷ついたし、恨み辛みもため込みました。
でも、大人になった今、自分の力で傷を治すこともできますし、恨み辛みでは
なく、自分を傷つけた人達を許してあげることもできるのです。
子供の頃は、自分の生きかたを自分で選択する力はありませんでした。
でも、大人になった今、自分の生きかたを自分で選択することができるのです。
40歳を過ぎて、何だか二度目の人生を選択する気にやっとなってきました。
さて、これからどんな人生を選んでいこうか?
考えるとワクワクしてきます。
子供の頃なら、やらなくてもよかったことも、やらなくてはいけないかもしれ
ませんが、その分、自分で自分の人生を選択することができるわけですからね。
辞書に載っていたように、思慮分別があるのか、技芸、学問が一応の水準に達
しているのかは不明ですが、自分の人生を自分で選択する力だけは、私には確
実にあるようです。
大人族になってよかったです。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や結婚、浮気や離婚など男女関係、対人関係やビジネス関係、家族関係や子育て、子供の反抗期、子離れ、親離れ問題など幅広いジャンルを得意とし、お客様からの支持が厚い。 女性ならではの視点と優しさ、母としての厳しさと懐の深さのあるカウンセリングが好評である。PHP研究所より3冊出版。

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