ここで心理学を学び始めて10年を過ぎました。
目立ったきっかけは特になく、心理学自体への関心は以前からあり、あれ
これと本を読み齧ったりはしていたのですが、強いて言うなら自分の生き方
・在り方について再び考え出した、ということに尽きるかもしれません。
当時、年齢的には、38歳。
今で言うならアラフォーですが、10年前には当然そう言った言葉どころ
か考え方もなく、四十路を前にして自分の行く先のヴィジョンは全く見えて
おらず、このままいたずらに年を重ねることへの恐れにひたすら苛まされ、
10年後には成人している(現・22歳、20歳)の息子たちの姿を思い描くこと
でナントカ生活していました。
当時は、今の私の年齢くらいまで生きることができたら、もうここを去っ
てもいいな、と思っていたし、おそらく「密かな計画」を持っていた気がし
ます・・・人生は50年も生きればいいんだ、と言う。
先日、会社にいただいたメッセージを読み、そんな時代の自分を思い出し
ていました。
「できるだけ長生きしても良いと思います。そう簡単に死なれて欲しくはな
いから!」
とっても嬉しい言葉でした。
まあ、今の私はそうそう簡単に死ねないな、と思っていますが、10年前・
38歳の私がこの言葉を聞いたら、どう思ったろうな。
嬉しさももちろんあるけど、まだ生きなきゃいけないな、と感じたかも知
れないな。
あの頃の私にも、そんなことを言ってくれた人がいました。
私が、自分の人生は50年でいいな、って言ったら、
「僕は120歳まで生きるつもりなのに。周りが滅んでいっても、僕は野草を
食ってでも生き延びるねん!それなのに、そんなことを言うのか?」
と。
今の私なら、そないに長生きしても周りが迷惑やんか~くらいのことは言
えたと思うのですが、当時の私は考えが及びも就かず、じゃあ私もその歳ま
では生きなきゃね、って真顔で答えたことを覚えています。
私を励まそうという、その気持ちはとても嬉しかったのですが、まさに負
のスパイラル真っ只中の時代でしたから、言ってくれた人の顔をおそらく、
まともに見られていなかった気がします。
でも何かの折に、あの言葉は繰り返し私を励ましてくれることになり、人
生を考え直すきっかけになったと思います。
かと言って当時の私には、これといった考えもなく、何をしたいと言うこ
ともなく、毎日をただ消化しているといった感じ。
それ以外に、根気強く話を聞いてくれた友人や、私の両脇を温めてくれて
いた二人の息子たち、そう言った周りに守られて生きている時間だったなぁ
と、感じるのです。
そんな私が、このまま生きていくこともできるけど、何かが違うと思い始
める、更なるきっかけになったのは、保健室登校の状態になっていた女子生
徒の姿です。
その後、教室にいられるようになり、卒業式を終え公立高校合格の結果を
携えた彼女が、私宛の手紙を届けてくれ、このことが私の気持ちを大きく前
に進めてくれることになりました。
私はただ、顔を合わせたときに声を掛けたに過ぎないのですが、誰か一人
自分を見てくれているということで、がんばれた、とその手紙には書かれて
あり、思いがけず自分の生き方に向き合うことになりました。
それまでもくすぶっていた、もっと深く人に関わりたいと言う想いが強く
なり始め、その仕事をしている限り、自分を小さく折りたたんでいなければ
いけないと感じていたこともあり。
かねてから学びたかった臨床心理学を始めようとするには、年齢的に遅す
ぎるのでは、とかそう言ったことは全く考えもせず。
実は一番初めに探してみたところは、歩いて行ける場所、それも母校の真
向かいに事務所を構えている研究所だったのです(ゴメンナサイ)。
しかも、そこの先生は私を捕まえに?職場まで足を運んでくださったとい
うのに、偶然私は県庁あたりに仕事で出向いており不在だったために、お会
いできず・・・。
ご縁、と言うのはそんなものかも知れないのですが、そこの研究所で学ぶ
ことになっていたら私は、学校を辞めることなく、今こうしていることもな
かったんだろうと思います。その代わり、教育機関で心理職に就いた可能性
はあったかもしれません。
でも、・・・何かが違っていた。
私にとっては「これだ!」と思うには何かが違っていたんです。
学校でお仕事をさせていただけたのも、結婚し子供に恵まれたことも、離
婚に至ってしまったこと、それまでに苦しかったこと・・・何一つとっても
本当は偶然なんてないのかも知れません。
とても必要で、とても自然な出来事だったのでしょうね。
一つ一つ、本当は選ぶ機会が私には与えられていて、その「声」が聞こえ
たところに私はただ、向かっているだけなのかも知れません。
その瞬間、瞬間に、いろんなものが私の周りにあり、いろんな出逢いがあ
ってその中で、聞きたいと思った声をただ聞こうとし、向かっているだけな
のかもしれません。
ちょうど10年前の今ごろ。結婚生活を終え、子供たちと3人での生活を
始めたころ。
私の中の声は確かに、私を正しい方向へ導いてくれました。
同じ頃に、ひょんなきっかけで、強く繋がりを感じた方に出逢いました。
後に、この方と出逢ったことで今の生き方に拍車がかかることになるので
すが、何がどうなったのか今でもわからなくなることもあるけれど、とにか
く、心理学を学んで活かしていくことが人生の目的だと思えました。
その方に書いた手紙の中で、「セラピストを目指して勉強を始めようと想
う」と語った私。
その頃はまだ、資料さえも取り寄せてなく、ただ憑かれたようにペンを走
らせていたのです。
約1ヵ月後。
思いがけず、返事が届きました。とは言え、どこかで予感はあったのです
がそれはともかく、挨拶のはがきの隅っこに、書き添えられていた言葉があ
り、その言葉が今も私を支え続けています。
「・・・(略)前向きな姿に感銘を憶えました。セラピストを目指される
のであれば必ずや財産になると想います。」
と言うものでした。
まず、自分を前向きだと想っていなかった私に、前を向かざるを得ない羽
目に陥らせた、と言うことも言えるかもしれないですが・・・。
この時、手紙を書くこと自体に、私は何となく後ろめたささえ感じていた
ので、返事をいただいたこと自体が意外でもあり、ましてや自分の人生にこ
れほど大きな変化をもたらすことになるとは夢にも想ってなく・・・。
10年と言えば、私の生きてきた時間の大体5分の1な訳ですが、もしか
したら今までになく一番大きなカーブ(イメージは二次曲線ですね)を描い
てきた時間なのかもしれません。
いや、これからの時間はもっと大きなカーブをさらに上向きに・・・!
そんなことを想う、48歳8ヶ月の私、です。
明日も、それから先もずっと、私を励ましてくれた人たちの言葉を心で聞
きながら、私は生きている。
そう想います。
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