何が不安かっていえば、自分がちゃんとできていない、このままではダメなのではないか、という不安があるから。
そして、不安になるのは、自分がやるべきことをやっていない、という意識があるからではないかしら。
じゃあ、その「やるべきこと」って何でしょう?
もちろん、組織の中で仕事をしていれば、「これをやって」と頼まれることもあるし、ノルマもあるでしょうから、明確に「やるべきこと」が何かわかっていることもありますが、自分で勝手に作った「自分ルール」で「これくらいやるべき」と思い込んでいることも多々あるように思います。
本当は、「アポをリスケしてほしい」と伝えればいいだけのときも、つい相手の気持ちを慮って、どう言い訳をするか、穴埋めをするかで考え込み、その一本の電話、メールをかけられずにモンモンとして時間ばかりかかる、なんて経験はありませんか?
窓口に申請書を持ってこられたお客様にお断りをしなければならないときも、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまい、つい何とかしてあげられないかいろんな方策を考えたり、身の上話を聞いてあげているうちに時間がどんどんかかってしまう。
ここまでちゃんとやってあげなければやったことにならないという「自分ルール」を守ろうとすると、人の期待に応えられない。でも、人の期待に応えようとすると、どうも「自分ルール」を満たしていないようで、落ち着かず、心がこもらないから集中力も落ちて、ミス連発なんてジレンマに陥ったりもしますね。
この「自分ルール」があなたなりの「完璧」なのかもしれません。
そしてあなたの「完璧」が人の期待にも沿っているなら、それは「理想」かもしれません。
でも、なかなかそうはならないんですよね。
自分の能力が「自分ルール」に追いつかないこともヤマほどあるし。
人の期待と「自分ルール」が違うことばかりだし。
「ホントはこうあるベキなのに!」と自分にも他人にもキレたい気持ちを押さえながら、「自分ルール」にも、他人の期待にも応えられないことに不安が募ります。
だって、これじゃ「他人」も「自分」も「頑張りたい」と思っている自分を承認してくれそうにありませんもの。
罪悪感には2種類あって、「やって失敗した」罪悪感と、「やるべきことをやっていない」罪悪感がありますが、心理的にキツいのはむしろ後者かも。いつまでも自信がつかないから、なかなか抜け出せないです。
こんなとき、心の中でバラバラになった自分の気持ちたちの一つ一つにOKを出そうとしてみてくださいね。
「自分ルール」は、向上心にあふれた優しい私。こうありたい理想の私。
「人の期待に応えたい私」もいますよね。社会の一員として、みんなと一緒に頑張りたい私。
「ホントはこうあるべきなのに!」と怒っている私は、正義感の強い私。
「不安になる私」は、できなければみんなに嫌われちゃうかな、と思っている自信のない私。
でも、「自分ができていない!」と責める罪悪感でいっぱいの私は、実はもっとできることがわかっている私。
こう見てみると、「私」は、みんなの役に立ちたいと思っている結構いいヤツかもしれません。
だから、「完璧」という「理想」は「理想」であり、山の高みのような、ちょっと先の「目標」でいいことにしませんか。
その「目標」は「目標」として掲げながら、今の一歩をみんなと一緒に進みたいって思っている自分を感じてみてください。のんびり、じっくりと一歩、一歩、みんなの目を見ながら、途中迷いながら、でも、山の高みをめざして歩く自分を感じながら、ゆっくりと息を吐いてみてくださいね。
そして、ゆっくりと目の前の、まずは今できることを「一つ」やってください。
エベレストの山も、一歩から。まずは、「やっていない」と自分を罰する罪悪感を「一歩」進むことで手放してくださいね。
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