「私の方が実績をあげているのに、どうしてあの人の方が先に出世したの~?」と憤慨することも残念ながらしょっちゅうです。
「仕事だから」、感情に流されてはいけない。
みんなそう思っています。だから、「悔しい」「羨ましい」感情を必死で抑え込みます。でも、必死に抑えて平静を装っている分、誰かがちょっとしたヘマをしでかして、「言える」理由があると一気に噴き出します。
「あの昇進は時期尚早だったんだよ。荷が重かったんじゃないの」とか、
「いい気になっていると足をすくわれるね」なんて、堂々とちょっぴり意地悪を言えるとほっとするんですね。
「嫉妬」という感情は、欲しいのに手に入らないと信じているときに感じる気持ちです。
職場の嫉妬は、「認めてほしい」のに「認められないだろう」と思っているときに、(自分とさして変わらないような)誰かが認められたりすると一気に燃え上がります。自分の中の「欲しい(認められたい)」というニーズと「認められないだろう(自分には価値がない)」という無価値感が激しくぶつかり合うなか、「欲しい」気持ちが収まりがつかなくなって、つい手に入れた人を攻撃して引き摺り落としたくなるのです。
「私が手に入れられずにいるのに、あなただけ手に入れるなんてけしからん!」という理不尽な理屈がそこにはあるのですが、それくらい素直に「欲しい!」と心と身体で表現するのが怖いのでしょう。
一方で、運良く認められながら、今度は嫉妬感情の的になって悩む人も少なくありません。どうも嫉妬「される」人は、「される」人で、
「この承認は分不相応かも?」、
「私だけ手に入れちゃったけど、それだけの仕事ができるかしら?」、
という不安を抱えているようです。認められたいのに、いざ認められると、「嫉妬する人」からの攻撃を怖れるのは、「自分を認めてくれない人がいる」ことを気に病んでいるということ。「やっぱり認められない(自分には価値がない)よね」という気持ちがここにもありそうです。
嫉妬「する」人も、嫉妬「される」人も、立場は違えど、どこか自分の価値に自信がなくて、誰か他の人に「大丈夫。あなたには価値があるよ」と認めてもらいたい気持ちが強いという点では、どっちもどっち、一緒のようです。嫉妬「する」人よりも、嫉妬「される」人の方がちょっと余分に自分が認められることを許せているだけ。その「ちょっと」が嫉妬「する」人にとっては、すごく悔しいんですよね。
では、どうしたら「嫉妬する人」、「嫉妬される人」のいずれからも自由になれるのでしょう?
答えは、「大丈夫。あなたには価値があるよ」と承認を与える側になることです。
職場は「認めてほしい」というニーズが集中する場なので、「認める」役割の人が必要なのですが、これを引き受けられる人は慢性的に不足気味です。
一般に、上司や先輩が「認める」「褒める」という親的な役割を担うことが期待されますが、この上司や先輩もまた「認められたい」というニーズを抱えています。それも、自分より上の上席や先輩のみならず、部下や後輩にも「認められたい」と思っているので、同期との競争がとりあえずの課題である新入社員よりも感情的には複雑です。
人として人を「認める」「褒める」のに、特別な役職はいりません。
「部長のここが凄い!」、
「先輩のこういうところを見習いたい」。
そして、同輩に対して、
「あなたのこの才能が欲しい!」
と屈託なく承認し、後輩にも、
「あなたがそうやって活躍してくれると助かります!」
と感謝を惜しみません。
そんな「あなた発」の主体的な承認こそが、めぐりめぐってあなたの「評価」も「自信」も作ります。自分で自分を承認するためのタネを植えるつもりで、周りの人たちを承認するキャンペーンを始めてみませんか。
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