とても心が痛む状況になってしまいました。
被災者の皆様には、お見舞い申し上げます。
また、被害の拡大阻止や被災者の救済に当たられていた、そして今も当たられている皆様、感謝の気持ちとそのご努力に敬意表したいと思います。さて、「安全は100%得られるものではない」との弁がここのところよく聞かれるようになっています。
私は工学部の出身で、学生の頃「工学とは何か?」という事を教わりました。
言い得て妙だなと心に残ったのですが、「“工”の上の一は“天”、即ち自然を表し、下の一は“地”即ち人間世界を表す。天と地、即ち自然と人間を結ぶのが“工学”で、いかに自然の摂理を我々人間がうまく利用させてもらうかがその学問である」との事でした。
自然という計り知れないものを我々人間が利用させてもらう訳ですから、私たちの叡智を結集して安全に考えても100%安全ということはあり得ません。
しかし、とてつもなく重大な事故が起こったときに「100%安全なものはない」との理由を持ち出すことは、本来の「工学」が持つ存在意義を放棄しているように僕は感じてなりません。
私も長年、新製品の研究開発に携わり、また製造物責任(PL)の仕事にも携わってきて感じることは、問題を起こす製品には、例え様々な安全性を検証する手法を使ったとしても、ぬぐい去れない人間の心理に基づいたエラーが潜んでいるという事です。
それは、開発設計段階の開発者の思い込みもあれば、製品の安全性を検証する段階での品質管理担当者の思い込み、関係者が集まって製品化の最終決定を行う製品認定会議等での集団の意志決定プロセス、製品を製造し、あるいは輸送や保管を行う段階での思い込みなどです。
今回の原発事故についても、原子力発電所を作る、及び/または、原子力発電を推進するいずれかの場面で、なにがしかの心理的エラーが生じていたのではないかと感じています。
今回は、その中でも特に心理的な問題が生じやすい“集団での意志決定”にまつわる「心理的な罠」について、よりよい決定を下していただく願いを込めて、お話ししたいと思います。
集団での意志決定でよく見受けられる心理的な罠の1つに「集団分極化」という状態があります。
この集団分極化にはリスクの高い方向を選択してしまう「リスキーシフト」という状態と、それとは逆に慎重な方向を選択してしまう「コーシャスシフト」という状態があります。
リスキーシフトは、例えば一人だったら絶対にやらないような事を、みんなで話し合った結果実行してしまうというような状態です。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった状況でしょうか。
一方コーシャスシフトは、一人だったら何気なくやってしまうような事でも、みんなで話し合っているうちにやらないことを選択してしまうというような状態です。コーシャスシフトは、一般的にリスキーな選択をする事が好ましくないと思われている事柄について、起こりやすくなります。
この集団分極がなぜ起こるのかは諸説あり、また今なお研究が進められていますが、現在の知見をおおまかにまとめると、以下のようになります。
(1)集団のリーダーや声の大きいメンバーの意向に同調する雰囲気が形成され、それに異を唱えられない状況になる。
(2)メンバーが自分の存在をアピールするため、より極端な方向の意見を出す。
(3)集団の決定で責任の所在が曖昧である。
集団の意志決定で見受けられる心理的な罠をもう一つ紹介します。
メンバー相互の関係が緊密な集団で危機的な場面で意志決定をしなければならないときに、メンバーがお互いに意見を一致させようとする「集団思考」と呼ばれる状態があります。
集団思考になりやすい全体的な兆候としては、
(1)自らの集団の力量や道徳性を過度に高く評価している。
(2)決定に対する警告を無視する。
(3)相対している状況を軽視する。
(4)個人は、沈黙しているメンバーも多数派の意見と同じと感じ、集団の意見に背かないように沈黙する。
(5)反対意見に対しては集団の圧力がかかる。
(6)反対意見から集団を守ろうとするメンバーが現れる。
と言われています。
本来は、よりよい決定を行うために行われるはずの集団での意志決定ですが、このような心理的な罠が潜んでいるのです。
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