自分はバカにされている? ~権威者の怖れ~

リーダーにとって、一番怖いのは、自分が「権威をもつに値しない」と思われることではないでしょうか。特に、部下からどう思われているのかは、すごく気になるところです。

気になるけれど、なかなか表だって聞けません。いきおい、相手の目つきだったり、ちょっとしたしぐさだったりの非言語コミュニケーションから、あるいはささいな言葉遣いから部下の気持ちをおしはかろうとします。

そして、自分は、リーダーとして尊敬されていないのではないか、否、バカにされていないだろうか、と心配になります。

この怖れに圧倒されてしまうと、自分が尊重されているかどうかに過敏に反応してしまうので、つい目下の人間に対して高圧的にふるまったり、ことさらに自分の「権威」を尊重するように周囲に要求してしまい、かえって周りの人との心の距離が開いてしまうことがあります。一人で空回りするような淋しさを覚えることもあるでしょう。

ある程度のポジションについている、「権威のある」リーダーのこのような怖れは、多くの場合、抑圧したコンプレックスを部下に投影したことにより生じます。このあたりのことをもう少し詳しく解説したいと思います。

例えば、あなたが、リーダーは頭でっかちではいけない、という信念の持ち主だったとします。実際、これまでも理論や知識はなくとも、熱意と情熱で難局を切り開き、多くの人を率いてビジネスを作り上げてきたとします。あなたの実績も、そんなあなたのやり方の正しさを裏打ちするようなものです。あなたについてきている部下は、厳しい局面を打開できるあなたのパッションを信頼しているのですが、折に触れて、あなたは自分が理屈負けするような出来事に遭遇します。すると、自分が尊敬されていないような、バカにされているような感覚に強く襲われるとします。

これは、あなたが「自分は理論派、知識派ではない」ことにコンプレックスを感じているのだけれど、それは認めにくい感情なので、心の底に押し込めて「理論、知識はいらない」と自分で自分に思いこませようとしている。けれど、その感情は隠した(抑圧した)けれど、無くなったわけではないので、「あなたは理論派、知識派ではないね」というメッセージを感じるような状況に出くわすと、「だからダメなのだ」とバツをつけられたように感じてしまい、激しい憤りをおぼえたりします。

もちろん、「理論派、知識派でない」から「ダメ」だと言われたわけではない、にもかかわらず、です。これが昂じると、「理論派、知識派」の部下を必要以上に遠ざけてしまい、その部下の能力を活かしきれないという残念な事態も考えられます。

心理学では、これを自分のコンプレックスを相手に「投影」している、と言います。自分がもっている「理論派、知識派ではない(から劣っている)」というコンプレックスを、「だから相手が自分をバカにしている」というように感じてしまうわけです。

コンプレックスは、とても嫌な感情で、誰だってあまり感じたくはありません。自分がコンプレックスを持っているということを認めたくない、という気持ちがあまりに強いと、心は、その感情を押し込める(抑圧する)にとどまらず、まったく無かったものとして切り離す(解離する)こともあります。

この場合は、当人は、自分は「『理論派、知識派ではない(から劣っている)』と感じている」ことそのものを「なかったこと」と思いたいがために、それを(自分に)証明するかのように「理論派、知識派」の人材を今度は必要以上に評価してしまい、理論や知識はなくても人並みはずれて熱意のある人の可能性を見落としてしまうこともあります。

抑圧も解離も、人が心の健康を維持するためにある防衛機制で、いちがいに悪いものではありません。ただ、自分の心の感じ方のクセを知っておくと、「怖れ」や「攻撃的に感じる態度」に対して必要以上に反応しなくてすみます。

リーダーに求められる資質はもろもろありますから、誰でも何かしらのコンプレックスを抱えているのが自然だと言えます。そんな自分の弱さやコンプレックスを冷静に見つめることができたなら、自分に不足しているものをもっている人に対しても過剰反応することなく、自分を補える人財として活かしながら、自信をもって自分の強味で勝負できますね。

権威があるからこそ、認められているところがあるからこそ、自分の抱える「怖れ」に謙虚になれたらいいですね。

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